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【スポーツ群像】高橋尚子と土佐礼子の引退走…マラソン伝道師に (2/4ページ)

2009.5.31 08:00
このニュースのトピックススポーツ群像・深層
名古屋国際女子マラソンでゴールする高橋尚子=瑞穂陸上競技場(伊藤奈々撮影)名古屋国際女子マラソンでゴールする高橋尚子=瑞穂陸上競技場(伊藤奈々撮影)

 「小さいころから走るのが好きで、よく出かけていっては『セミが鳴き始めたよ』『とんぼが飛び始めた…』と、走る中で感じた風景や季節の移ろいを話していた」とは父親の良明さん。人一倍の情熱が原動力となり、01年9月のベルリンマラソンでは女子で初めて2時間20分の壁を破る2時間19分46秒の世界記録(当時)樹立にもつながった。

 その後は故障もあり、再び五輪の舞台に立つことはかなわなかった。だが、挑戦する姿勢は持ち続けた。05年に小出義雄監督との師弟関係を解消し、専属スタッフと「チームQ」を結成したのも、「より自分らしく走りたい」という挑戦の表れだったろう。「1日1日を全力で過ごし、その積み重ねでスタートラインに立つ」が信条。「あきらめなければ、夢はかなう」ことを走ることで、示したいと語ってきた高橋は、練習で自らに課した「関門をクリアできなくなった」ことを自覚したとき、引退を表明した。08年10月のことだった。

 北京五輪を最後に一線を退こうと、土佐は決めていた。だからもし、北京五輪でゴールできていたなら、東京マラソン(3月22日)には出ていなかったという。

 「(北京五輪後は)普通に主婦業していたでしょうね。友達と世間話したり、(大好物の)ベーグルを作ったり…」

 それだけ土佐にとって2度目の五輪、北京は苦い思い出となった。原因は五輪1カ月前に患った外反母趾。10キロを過ぎたあたりから、着地のたびに激痛が走った。苦悶(くもん)の表情を浮かべ、それでもゴールを目指す土佐の耳に、聞き慣れた夫、村井啓一さんの声が飛び込んできたのは25キロ過ぎだった。「もういい、やめろ!」。11回目のマラソンにして初めて味わう途中棄権となった。

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名古屋国際女子マラソンでゴールする高橋尚子=瑞穂陸上競技場(伊藤奈々撮影)
名古屋国際女子マラソンでゴール後、リディア・シモン(左)からキスされる高橋尚子=瑞穂陸上競技場
名古屋国際女子マラソンでゴール後、花束を手にスタンドのファンに手を振る高橋尚子=瑞穂陸上競技場(代表撮影)
東京マラソンの表彰式に笑顔で登場した女子3位の土佐礼子=東京ビッグサイト(緑川真実撮影)

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