スポーツ大相撲の元横綱大鵬、納谷幸喜さんが死去2013.1.19 16:03

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大相撲の元横綱大鵬、納谷幸喜さんが死去

2013.1.19 16:03 有名人の訃報
65歳の誕生日を前に、日本相撲協会の定年会見を行なった際の大鵬親方(元横綱・大鵬)=2005年5月21日、両国国技館(撮影・千村安雄)

65歳の誕生日を前に、日本相撲協会の定年会見を行なった際の大鵬親方(元横綱・大鵬)=2005年5月21日、両国国技館(撮影・千村安雄)

 大相撲の第48代横綱で同じく名横綱の柏戸と「柏鵬時代」と呼ばれる黄金期を築いた元横綱大鵬の納谷幸喜さんが19日午後3時15分、東京都内の病院で死去した。72歳だった。

 サハリン(旧樺太)で生まれ、16歳のときに二所ノ関部屋に入門。昭和31年秋場所で初土俵を踏んだ。早くから将来を嘱望され、同35年初場所では、19歳の若さで新入幕を果たした。

 20歳5カ月で幕内優勝など数々の最年少記録を塗り替えて、昭和36年秋場所後に、柏戸とそろって横綱に推挙。このとき、21歳3カ月で、当時の最年少昇進の記録だった。

 「剛の柏戸」に対し、「柔の大鵬」といわれ、得意の左四つになってからジワジワと相手を追い詰める安定した取り口で、多くの記録を作った。幕内優勝32回、2度の6連覇、45連勝など相撲史に残る大記録を次々に打ち立て、双葉山とともに「昭和の大横綱」と評された。

 また、当時の子供たちに人気のある代名詞として「巨人、大鵬、玉子焼き」という言葉もあったほど、広く国民に親しまれた。

 柏戸とのライバル対決に多くのファンが手に汗を握ったが、昭和46年夏場所で引退。優勝30回を記念して、現役の昭和44年9月に贈られた一代年寄「大鵬」を襲名した。親方としては元関脇巨砲らを育てた。また、昭和55年から8期16年にわたり、日本相撲協会の理事を務め、名古屋場所部長などの要職に就いた。

 脳梗塞(こうそく)の後遺症などで、平成8年2月に理事を辞任。以降は相撲教習所所長として新弟子の教育などにあたっていた。

このニュースの写真

平成22年春の園遊会での納谷幸喜さん(第48代横綱大鵬)=東京・赤坂御用地(鈴木健児撮影)
大相撲・横審稽古総見で横綱・白鵬(左)と談笑する元大鵬の納谷幸喜さん=2011年9月3日、両国国技館(撮影・千村安雄)
大鵬の20回目の優勝は最良の誕生日に=昭和41年夏場所
大鵬の土俵入り=1961年10月
1967年5月、挙式を前に優勝し勝利の美酒。婚約者の小国芳子さん(右)のお酌でビールを飲む大鵬
1969年3月、大相撲春場所で藤ノ川を上手出し投げで勝ち、45連勝に笑顔の大鵬=大阪府立体育館
1963年、6連覇に笑顔で優勝杯を掲げる大鵬=蔵前国技館
45連勝の記録を持つ横綱・大鵬幸喜=1969(昭和44)年5月
1964年、春場所千秋楽で全勝横綱同士の相星決戦を制した大鵬。すくい投げで 柏戸を破り、13回目の優勝を全勝で飾った
還暦土俵入りする元横綱大鵬・大鵬親方。太刀持ちを元横綱・北の湖親方(左)が務めた=2000年6月、両国国技館(尾崎修二撮影)
引退会見の席で、こらえていた涙を押さえきれずタオルをそっと目に当てる大鵬=1971年、二所ノ関部屋
土俵入りする横綱・大鵬=1970年9月

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