「痛みとはつきあえても、気持ちの糸が切れたときに、もう一回結ぶのにどんどん苦労するようになった。ファンを裏切りながら野球をやるなら、ユニホームを脱ごうと思いました。でも、悔いは残ってないですよ。入ったのがテスト生ですから」
早すぎると惜しまれつつ、33歳という若さで引退を決意した。63年10月10日、甲子園で迎えた最後の試合。村山実監督がスタメン表を書いた。真っ先にこう記した−と思いたい。
「4番、サード掛布」=敬称略(文 篠原知存)
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次回は数学者、藤原正彦さんです。