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【竹内薫の科学・時事放談】科学書の翻訳 原著者の思いを洞察する
私は英語で書かれた科学書の翻訳も行うのだが、1冊の翻訳が終わると、生命力を本に吸い取られたような感覚に陥って、ふらふらになってしまう。英語と日本語を比べていると「言葉って文化そのものだなぁ」と考えさせられることが多い。
たとえば、今翻訳している本によく出てくるのが「insight」、インサイトという言葉。ふつうは「洞察」と訳す。だが、日本語としては「鋭い洞察力」といった表現で使われるくらいで、少なくとも日常会話に登場することは、まずない。そこで「見抜く力」とか「新しい発見」とか「ひらめき」などと言い換えてみるのだが、文脈により、どれを選ぶかを決めなくてはならない。原書では「insight」なのに、日本語では4つくらいの別の表現になってしまう。
翻訳者の駆け出しのころは、律義に英単語と日本語の一対一対応でやっていたが、そういった直訳は、どことなく継ぎはぎだらけのフランケンシュタインみたいな文章に感ぜられ、今では「原著者が伝えたい意味や気持ち」を優先して、意訳を工夫するようになってきた。
「insight」が「洞察」「見抜く力」「新しい発見」「ひらめき」に化けると、翻訳は自然な流れで読めるようになるが、困った問題が生じる。それは索引である。「洞察」だけで済ませておけば、索引の項目も1つで足りるが、同じ単語が4つの分身に化けてしまったのだから、項目も増やさざるを得ない。読者にとっては、どうでもいい問題だが、こんなことで訳者や編集者は、いつも頭を抱えてしまう。
もっと困るのが「掛け詞」や「シャレ」である。たとえば「stroke」は「脳卒中」なのだが、「stroke of〜」で「〜の一撃」もしくは「突然思い浮かんだ〜」という意味になる。脳卒中といっても「発作」という意味からきていて、もとは野球のストライクと同じ語源。原著者が「stroke of insight」と簡潔に表現しているのに、いくらがんばっても、日本語にすると「脳卒中によって突然ひらめいた考え」てな具合の説明調になってしまう。
「mind」というのも厄介者だ。マインドといえば「心」のことだろうが、文脈によっては「精神」とか「頭」とした方がしっくりくる。でも「spirit(スピリット)」も「精神」と訳すのがふつうだから、原著者の使い分けが、日本語になると消えてしまう!
要は、原著者の言葉のニュアンスを殺さずに日本語にするのが翻訳者の仕事なのであり、原書で滑稽(こっけい)だったり哀(かな)しかったりする件(くだり)が、翻訳で同じ感情を喚起できなければ、翻訳は失敗ということになる。
学校の英語の時間では、辞書を引くことが大事だったが、今は、むしろ辞書を引かないことが大切だ。辞書に羅列されている訳は「標本にされた蝶(ちょう)」であり、目の前の原書は「飛んでいる蝶」だからである。真夜中に独り、机に向かって翻訳をしながら、こんなことばかり考えている。(たけうち・かおる=サイエンスライター)

