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【草木塔は語る】(下)樹霊信仰 日本人の心象徴

2007.12.24 02:13

 ■生命再生の願い込めた「マサカリ立て」

 山仕事をなりわいとする人たちが、木の伐採でたたりを恐れたのは、木にも霊魂があると考えていたからだ。山形県南部の置賜地方で草木塔が建立され、江戸時代から続いてきた根底には、脈々と流れてきた樹霊信仰を認めることができる。

 山形県民俗研究協議会会長の大友義助さんは、そんな側面から山の民俗「とぶさ立て」に注目する。これは、林を伐採する際に最初に切った木の切り株にオノで傷をつけ、木の梢を差して神酒や米、オノなどを供えて礼拝する儀式で、山形県内では北部の最上地方に「マサカリ立て」として残っているという。

 もともと全国的に行われた風習だったようで、万葉集にも「鳥総(とぶさ)立て」と歌われているそうだが、大友さんは、梢を差す行為から「山の神の許しを請うとか、樹木の霊魂を弔うとかのほかに、その木の生命を植え継いで、再生をはかる意味が込められていたのではないか」と解釈する。

 これは修験者(山伏)が修行で目指す「擬死再生」(生命の若返り)と通じるもので、山の人たちのそうした心が、仏教の「草木国土悉皆(しっかい)成仏」という教えを受け入れる素地になったと考えられる。

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 草木塔の発祥の地である米沢市の田沢地区では、米沢藩の御料林を受け継ぎ、現在は財団法人として約3000ヘクタールを運営している。近年こそ収益が芳しくないものの、学校に寄付したり育英資金に活用したりと、森林の恩恵は続いている。

 米沢市田沢コミュニティーセンターの荒沢芳治事務局長によると、草木塔への関心が地元でも昭和60年ごろから高まり、調査や保存、学校での学習などが始まった。センターの一角には草木塔に関する資料を集めた部屋も設けられている。「よく話に出るのは、石にまでして残そうとした気持ちはすごい、ということですね」と荒沢さん。

 草木塔の契機のひとつになったとされる「木流し」は昭和12年まで行われていたというが、体験者が2人健在で、荒沢さんは今、その古老の話を記録に残そうと取り組んでいる。

 「自分では2度とやりたくないと言っていました。苦しい作業だったんでしょう」

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 山形県の草木塔は、平成2年に大阪で開かれた「花の万博」に飯豊町小屋にあった実物=文政13(1830)年建立=が展示され、全国的に注目されるきっかけになった。ちょうど環境問題がクローズアップされた時代で、これを機に草木塔が各地で建てられるようになる。地球規模の温暖化が表面化している今、大友さんは「草木塔に象徴される昔の人の心、日本人の文化は、強調してもしすぎることはない」と力を込める。

 「草木に魂があるなどというのは、人間中心の西洋的・合理的・近代的な考え方では認められない。しかし、そうした考え方を改めなければ、人間は自滅しかねないといわれている。日本人はもともと草木塔に象徴される心を持っていたのだから、そこに戻る必要があるのではないでしょうか」

 放浪の俳人、種田山頭火の句集に「草木塔」(昭和15年)がある。米沢市の郷土史家、小山田信一さんによると、山頭火は山形県の鶴岡や山寺は訪れているが、置賜地方には足を踏み入れていない。芭蕉の足跡をたどって新潟県の村上に滞在したときに、ちょうど米坂線の鉄道工事で多くいた米沢の人から草木塔の存在を知り、句集のタイトルに採用したのではないかと推測する。

 生涯をものごいの旅に過ごした俳人には、草木塔に強くひかれるものがあったのかもしれない。

 「あるけば草の実すわれば草の実」

(本間篤)

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 ■種田山頭火 山口県生まれ。荻原井泉水に師事し、各地を漂泊しながら自由律の俳句をつくった。句集に「山行水行」「雑草風景」「柿の葉」などがある。幼いときに母親が自殺し、家の没落、兄弟の死などが続き文学の道に入った。晩年は熊本市などに仮住まいを構えた。山形を含む東北地方は昭和11年に旅している。同15年、58歳で死去した。

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