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【特報 追う】アーバちゃんと家族(中) 苦渋の決断戻った笑顔
■「子供たちに祖国の誇り伝えたい」
アーバちゃんの治療を受け持つ東北大学医学部小児外科の和田基講師は、一時帰国のため夜行バスで成田空港に向かう父親のアルンさんの表情が、いまでも頭の片隅に浮かぶという。「アルンさんは話をするときに、いつもはにかんだ表情をするけど、その日は表情に不安な気持ちが読み取れて…。今後の行く末を考えていたんだろう」
ネパールへ帰るアルンさんの目的は、長男のアバス君のビザを取得し、一緒に連れて帰ってくること。そして来日以来手つかずになっていたネパールでの勤務先の仕事を整理してくることだった。
アーバちゃんの治療が終われば、すぐにでもネパールへ帰国することを前提にしていた昨年9月の来日。アバス君には「アーバが治ったらすぐ帰ってくるから」と伝えていた。しかし、アーバちゃんの治療は長期化。その約束を果たすことはできないまま、半年が過ぎていた。
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ネパールの首都、カトマンズから南西に 100キロほど離れたチトワン国立公園にほど近い街。ここに、アーバちゃん一家が暮らしていた自宅がある。アーバちゃんたちが日本に向かった後、アバス君は自宅そばに住む祖父母に預けられていた。
家族は10日に1回程度ネパールへ電話をし、アバス君を励ましていたという。電話口のアバス君は、こんな言葉を繰り返した。「いつ迎えに来てくれるの」「いつ日本に連れて行ってくれるの」「もう1人は嫌だ」
胸を締め付けられる思いで、聞いていたアルンさん。しかし、簡単に日本に連れてこられないことも分かっていた。
現在の生活は、医師らが立ち上げてくれた「アーバちゃん基金」で成り立っている。1人増えてもいいのだろうか。日本の生活になじめるだろうか。家族が全員来日すれば、ネパールとのつながりがなくなってしまうのではないか。
一方、こんな思いもある。「アバスは、アーバが病気になった際、毎日アーバのそばにくっついて励ましていた。2人は密接な関係だ。アーバだって、ネパール語が使える身内が1人でも多い方がいい」
両親のうち1人がネパールへ帰り、アーバちゃんとアバス君をそれぞれ育てることも考えた。でも、「1、2年程度の期間なら、それもできるが、アーバの治療には長い時間がかかる。やっぱり、家族は1つでなければ」。そう考え直した。
3月7日に離日。ネパールに到着後、一目散に実家へ向かった。視界に父の姿を認めたアバス君は拳を固め、駆け寄ったアルンさんのお腹を強くたたいてきたという。「なんで、こんな遅くなったんだ」。半年ぶりに再会した息子の手荒い出迎え。抱きしめた息子の体は、ストレスからか、以前よりずいぶん細くなっていた。聞けば、不安定な精神状態が続き、体重も減少していたのだという。
アルンさんは、しばらくの間、そのままアバス君を抱きしめ、その感触を確かめていた。両親を恋しがる姿を間近に見てきた親族は、みな日本行きを賛成した。アバス君のビザを取得した後、父子2人は3月27日、日本の地に降り立った。
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これまで、病気の子供を抱える家族を数多く見てきた主治医の天江新太郎教授。経験上、アバス君の来日について「できるだけ家族は一緒にいた方がいい」と賛意を示していた。「子が“かすがい”になることもあれば、逆になることもある。それでも、一緒にいることで乗り越えられる障害は多いと思う」
確かにアルンさんと母、バワニさん(30)の笑顔が増えた。それこそが、本来の家族の姿なのだろう。
両親が今、心配しているのは、子供たちがネパール人としてのアイデンティティーを失ってしまうことだ。日本語を勉強し、日本になじんでほしいが、ネパール人としての誇りや文化を忘れてほしくない。だから、アルンさんは、常にこう心がけているという。「私や妻の役割は、ネパールのことを子供たちにたくさん教えることだ」
(豊吉広英)