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【みちのく鬼行】(5)二本松市・安達ケ原の鬼婆 語り継がれる悲惨な伝説
■「すみかの岩屋」「死骸埋めた塚」脈々と訴え
「鬼婆(ばば)」といえば「安達ケ原」といわれるほど、「鬼婆」で知られた福島県二本松市の安達ケ原。市内を流れる阿武隈川沿いの安達ケ原には鬼婆を葬ったとされる「黒塚」があり、鬼婆にゆかりの深い「観世寺」がある。
岩屋をすみかとし、日が暮れ一夜の宿を求めて来た旅人を殺して食らうというまさに鬼の所業の鬼婆。観世寺の境内に祭られている白(しら)真弓如意輪観音の由来には、鬼婆が関係している。
奈良時代、熊野の僧の東光坊が安達ケ原で鬼婆の岩屋に泊めてもらうことになった。鬼婆が薪を取りにいった間に、「見てはならぬ」と言われた部屋を見た東光坊は、そこに死体や人骨が山積しているのを目の当たりにし、驚愕する。身の危険を感じた東光坊は退散。秘密を知られたことに怒った鬼婆は出刃包丁を手に東光坊を追いかける。追い詰められた東光坊は背負った如意輪観音像をおろして一心に祈ると、奇跡が起きた。天空に如意輪観音が現れ、白真弓で金剛の矢を射て鬼婆を退治した。
鬼婆の死骸(しがい)を埋めたのが黒塚で、東光坊が如意輪観音を祭るために建立したのが観世寺とされる。
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「婆と呼ばれるのは人間だけ。だから鬼婆はあくまで人間です。観音様は生きとし生けるものを救うのですが、鬼婆には自ら手を下しました。人間は悪事をなせば何らかの報いがあるということを教えています」。観世寺の中村孝純住職(65)はこう説く。
寺の境内には巨岩の重なった岩屋、鬼婆が人を殺(あや)めた出刃包丁を洗ったとされる池などがある。鬼婆の墓とされる黒塚は寺の近くにあり、碑が建っている。
観世寺の「黒塚縁起」によると、鬼婆は「岩手」という名前で、京都の公家屋敷で乳母をしていた。育てていた姫の病気には「妊婦の生き肝が薬」と易者から聞き、奥州に旅立ち、安達ケ原の岩屋にたどり着いた。ある日、旅の若夫婦が宿を求めてきた。女は身ごもっており、岩手は出刃包丁で腹を裂いたが、女が自分の娘であることを知り、発狂。その後、旅人を襲う鬼婆となったという。
悲惨な話だが、「鬼婆の魂は浄化され、『人を殺めてはいけない』といまの人たちに訴え続けていると思います」と中村住職は話す。
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「安達ケ原の鬼婆」の話は能や歌舞伎、浄瑠璃などの題材となり、広く知られるようになった。民話にもなり、子供のころは鬼婆に僧が追われる場面が恐くてしかたなかった。
全国的な知名度や伝説の里のイメージを生かしたテーマパーク「安達ケ原ふるさと村」が観世寺に隣接して平成5年にオープン。取材で訪れたのはオフシーズンだったこともあり、閑散としていたが、いかにも“鬼婆”がいそうな雰囲気があり、かつての「恐い」記憶がよみがえった。
ふるさと村のマスコットキャラクターが、小さい角と牙の生えた、目のクリクリとした「バッピーちゃん」。現在は2代目で、初代は「いかにも恐いリアルな鬼婆」(ふるさと村)だったため不評。2代目はがらっとイメージチェンジ、子供や若い女性に人気となり「集客に一役買った」(同)そうだが、塚の下の鬼婆はどう思っているのか聞きたくなった。
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鬼婆、鬼女では、新潟・弥彦山の弥三郎婆伝説や長野・戸隠山の鬼女、紅葉伝説が知られている。弥三郎婆も人肉を食らう鬼婆として恐れられていたが、真言宗の僧が悔い改めさせ、妙陀羅天という神として祭られたとされる。紅葉は正妻を呪術(じゅじゅつ)で除こうとして京から戸隠山に流されるが、配下を集めて村を襲い鬼女として知れ渡る。討伐軍に討たれたが、亡きがらは埋葬され供養塔が建てられた。安達ケ原の鬼婆も塚に埋葬され、供養されている。福島県立博物館の佐治靖主任学芸員は、魔女に代表されるような異端や邪教を排除する外国と比較し、「日本では鬼女が神仏として祭られる」のも特徴の一つとしている。(石崎慶一)