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司馬文学の語り部、石浜典夫さん死去

2008.5.14 03:27

 司馬遼太郎氏と司馬文学の語り部だった石浜典夫さんが13日午後、松山市内の入院先の病院で静かに息を引き取った。テレビ愛媛の専務取締役として松山市に赴任したのは平成6年。以来、「松山には正岡子規や秋山兄弟といった貴重な財産がある」。ことあるごとに文化的財産の掘り起こしや発信の必要性を説いた。

 中村時広市長とともに大阪・東大阪市に司馬さん妻、みどり夫人を訪ね、坂の上の雲を冠とするまちづくりの許諾を得られたは平成14年。「中村市長が小説をあれほどまでに読み込んでいたから、夫人がその熱意に負けたんです」。脇役の石浜さんに気負いはない。

 大阪人間の石浜さんの口癖は「そや、そうやねん」。だれにとも気さくに応じ笑顔を絶やさなかった。話が弾めば、指先からたばこの灰が床にこぼれようと頓着する様子はなかった。

 温厚な人柄は多くの人に愛されたが、司馬文学を揶揄(やゆ)したり、「『坂の上の雲』は戦記小説」といった浅薄な一部のマスコミ報道に対しては徹底して対峙(たいじ)した。雑誌で、あるいはラジオ番組でそのメディアの「無知の罪」をいさめた。

 第二の故郷として選んだ松山の将来像を熱く語り続けた石浜さん。まちづくりにはマスコミの協力は欠かせない−。裏返すとそれが批判の一端ではあったが、元上司の司馬さんや文学性そのものを曲解されることを本心から忌み嫌った。

 歯にきぬ着せぬ物言いから、「なにわの坊っちゃん」のタイトルで地元の雑誌にも寄稿文を連載し、気を吐いた。だが、いつしか病は石浜さんの体をむしばんでいた。「オレな、悪い病気になってもうてな」。ニコチンに染まっていた指先もすっかり白んでいた。

 それでも4月末までは病院を外出しては知人らに笑顔を見せていたが、5月になって容体が急変した。「NHKが(坂の上の雲の)ドラマを放送してくれれば最高の追い風だ」と楽しみにしていたスペシャル大河。さぞみたかったろう。「そや、そうやねん」−。たぶんそうつぶやきながら、なにわの坊っちゃんは雲の上に駆け上がってしまった。

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