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鍛冶屋敷遺跡から建物の遺構、大仏造立に関する役所か 滋賀

2008.8.8 02:51

 奈良時代に聖武天皇が東大寺に先立って大仏を造立しようとした甲賀寺の遺構に近い滋賀県甲賀市信楽町黄瀬の「鍛冶(かじ)屋敷遺跡」から、掘立柱の建物3棟の遺構が見つかり、甲賀市教委が7日、発表した。建物の方向などから甲賀寺を含む紫香楽宮全体の都市計画に基づいた役所と想定され、市教委は「大仏がどこで造られたか解き明かすヒントになる」としている。

 調査は民間の建設計画に伴い、市教委が5月から、甲賀寺の北東約400メートルの約350平方メートルで実施。釣り鐘など大型の銅製品を甲賀寺に供給していたと考えられている鋳造工房の遺構から、約80メートル西側に位置している。

 3棟のうち全体像がほぼ分かったのは、平行に並んだ東西に長い2棟。軒先を含めた東西の長さと、2棟の間の距離がいずれも60尺(17・8メートル)と推定できることから、60尺四方の空間を意識して整然と配置されたと考えられるという。

 この2棟は、甲賀寺から宮殿があった宮町遺跡へ伸びるメーンストリート「朱雀路」や、宮町遺跡の建物群とほぼ平行して建てられていた。

 大谷大学文学部の櫻井敏雄客員教授(日本建築史)は「2棟はいずれも、中心部と外側の柱の間隔が異なっている。正面からの視覚的効果を意識しており、儀式的な役割を持つ役所と推測される。全体的な都市計画に基づいた官衙(かんが)のひとつではないか」と指摘している。

 『続日本紀』によると、聖武天皇は天平15(743)年10月に紫香楽宮で大仏建立の詔を発し、翌16年11月には大仏の「体骨柱」が建てられた。今回発見された遺構について紫香楽宮跡調査委員会委員長の小笠原好彦・滋賀大名誉教授は「鍛冶屋敷遺跡全体が甲賀寺建設のための部材を作る工場と推測され、発見された建物は経営部門に当たるのでは。大仏造立に関係する可能性もある」と話している。

 遺構からは年代を特定できる土器などは出土しておらず、市教委は建物の年代を、その規模や方向から紫香楽宮が造営された8世紀中ごろと推測。掘立柱の柱根1本が見つかっており、年輪年代法で特定したいとしている。

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