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【この人あり】川上哲郎さん(3) 取材攻勢に耐えた日々 元関経連会長 

2008.7.19 02:42

 平成5年12月に関西経済連合会(関経連)の次期会長就任が決まるまでの約2カ月間、当時の会長、宇野收(故人)から呼び出され、何度も2人きりで大阪市内で会った。12月24日に決まったのだが、その数日前の宇野には鬼気迫るものがあった。

 「住友グループの先輩は了解しているのに、無責任じゃないか。マスコミの格好の餌食になるだけだぞ」

 川上より10歳ほど年上の宇野は温厚な性格で知られたが、烈火のごとく怒りながら、そう言った。

 川上は負けずに「もうマスコミは何度も自宅に来てます」と返したものの、宇野は一転して悲痛な声で迫ってくる。「このままでは年を越せない。受けてくれ」。数秒の沈黙が長く感じた。弱り切った宇野の顔をじっと見つめ、川上は覚悟を決めたように答えた。

 「分かりました。ただし、受けるにしてもショートリリーフですよ。すぐに辞めますが、いいですね」

 川上はいまでも、そのときの宇野の怒った表情と、絞り出すような声が忘れられない。そんな舞台裏を知ることもなく、周囲の騒がしさは増す一方だった。

 まず、会長就任を要請されたことをどこかでかぎつけたマスコミが「後継は川上」と報道し始めた。結果として会長に就いたものの、当時は受けるつもりはなく心外な報道でもあった。

 「川上後継説」が報道されるや、神戸市内の自宅には連日、全国紙の経済部記者が押し寄せた。会議などで帰りが遅いときは自宅まで車で送ってもらうが、周辺の道路には報道陣のタクシーが並び、川上の帰りをいつも待ちかまえていた。

 律義な川上は1社10分などと時間を区切って自宅にあげ、丁寧に対応した。そこで就任する気はないと話しても、翌日の朝刊を開けると、「川上会長誕生へ」の見出し。掲載される度に記者がまたやってきて、「いつ正式に受けますか」と尋ねられた。報道合戦は過熱し、午前1時に自宅のインターホンを鳴らす記者もいた。

 いまから思えば懐かしい思い出だが、心を痛めたこともある。副会長人事のもたつきもあって、次期会長の最有力とされた小林庄一郎会長のいる関西電力との「不仲」をネタにした報道が続いたからだ。

 しかし知る人は少なかったが、実は川上は小林と年に数回、数人の仲間とゴルフをプレーする仲でもあった。「関電と断絶」などとおもしろおかしく報道される中で、ある日、小林から1本の電話が入った。

 「人事のことは大丈夫。気にするな」

 その一言に何より勇気づけられた。歳月の経過とともにゴルフ仲間は減ったが、現在も小林との交友は変わらず続いている。

(敬称略)

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