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【この人あり】ジュンク堂書店社長・工藤恭孝(1)

2008.7.8 03:38

 ■営業形態を決めた「偶然」

 明るく広い店内に、ずらりと並び、見上げるほど高い棚。通路を抜ければ、そこには立ち読みならぬ「座り読み」ができるコーナー。本棚はすべて特注で、指定の業者に発注し、サイズも限定して作らせている。そのうえ充実した品揃(そろ)え…。図書館や資料室と錯覚するほど居心地もいい。

 大型専門書店としての名声を確立し、全国に28店舗を構えるジュンク堂書店。しかし、その営業スタイルは「偶然」から始まった。

 そもそも学生時代、工藤は父・淳(故人)が経営していた本屋を継ぐ気などなかった。しかし広告代理店や新聞社の就職試験を受けたが、結果は不採用…。「じゃあ、父親がやっていた本屋の業界に入ろうか」。その程度の動機だった。

 神戸市中央区の三宮センター街に第1号店をオープンさせたのは昭和51年。地下の約1100平方メートルという、当時の神戸では珍しい広さだったが、大型店舗としてのオープンを狙っていたわけではなかった。限られた資金では駅前の一等地の店舗を借りるわけにはいかず、仕方なく、「3等地」の地下の大型物件を借りてのスタートとなった。

 実は社名の「ジュンク堂」も窮余の策で生まれたものだった。いい名称が思い浮かばず、悩んだ挙げ句に思いついたのが、父の名前の読み方、「くどう・じゅん」を逆さにすることだった。つまり「じゅん・くどう」…。のちに全国に知られる名称は、こんな具合に誕生した。

 地下の大型店舗は、父が経営していた「キクヤ図書販売」が主商品として扱っていた雑誌の小売店を増やすためだった。オープン当日。店頭に当時一番人気だった雑誌「プレイボーイ」を200冊あまり、ずらりと平積みにして客を待った。

 「これが大失敗。売れたのはそのうちわずか数冊だけ。さすがにこれはショックでした」

 大型店舗に客が求めるものは何か。ここから、工藤の試行錯誤が始まる。

 《1号店が黒字経営となり始めたころ、JR三ノ宮駅近くに新規出店の話が持ち上がった。それが昭和57年にオープンした2号店「サンパル店」だった》

 2号店のコンセプトのヒントは、1号店で目当ての本が見つからなかった客に言われた何気ない一言にあった。「専門書がないなら大阪で探すからいい」。2号店は300坪と広さは十分あり、倉庫代わりに在庫も置ける。大阪の大型店に負けない品揃えができる。すぐに実行に移すと、次第に評判を呼んだ。

 1号店のころから求めた居心地の良さという「店作りへのこだわり」も相乗効果となって、専門書を求める客や、本好きのリピーターがひっきりなしに訪れるようになった。

 《2号店の成功で大型店舗での専門書販売という経営方針は確信に変わった。63年には435坪の京都店をオープンさせ、ジュンク堂は神戸の地方書店から全国各地に展開する大型書店へと飛躍を始める》

 1、2号店がともに軌道に乗り始めた矢先、ジュンク堂を襲ったのが平成7年1月の阪神・淡路大震災だった。(敬称略)

                  ◇

【プロフィル】工藤恭孝

 くどう・やすたか 昭和25年、宝塚市生まれ。県立兵庫高校から立命館大学法学部へ。現在、ジュンク堂書店代表取締役社長。芦屋市在住。58歳。愛読書は吉川英治の「三国志」。

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