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【この人あり】国連ボランティア計画終身名誉大使 中田武仁
2001(平成13)年。100年に一度のミレニアムを、中田は万感の思いで迎えた。中田が提唱し、国連が定めた「ボランティア国際年」が、21世紀とともに幕を開けたからだ。
その提唱と実現を、中田は名誉大使在任中の最も印象深い出来事に挙げる。厚仁がカンボジアで非業の最期を遂げてから8年。「ボランティアが国際的に受け入れられた」との感慨があった。
国際年は、国際社会が取り組む課題として毎年定められるが、中田が最初に提案したのは1996(平成8)年2月、国連大学(東京都)で開かれたフォーラムだった。前年の阪神大震災を経て、日本人のボランティアに対する認識は大きく変わっていた。今なら、日本から世界にボランティアの波を起こせると考えた。
「20世紀は戦争の世紀だった。21世紀は人間の負の面ではなく、光の面を輝かせる世紀にしよう」
中田はこう呼びかけるとともに、21世紀を「国益を超える時代にしたい」とも訴えた。紛争や貧困など、目の当たりにした問題を解決するには、国益や自己の利益を顧みずに動くボランティアの力が必要だと確信していた。
その提案は日本政府から世界へと受け継がれ、97年11月に開かれた国連総会で、123カ国の共同提案として承認された。
「日本が提唱したことに意味があった。日本がボランティアのことを言い出すなんて、世界は驚いたと思いますよ」
2000年11月、ニューヨークの国連本部で開かれた国際年のオープニングセレモニー。ボランティアの精神をたたえる事務総長(当時)のアナンの演説を、議場の最前列で聞いていた中田は軽い驚きを覚える。
「国連ボランティアこそ真の世界市民(World Citizen)だ」
アナンが口にした「世界市民」は、中田が最も好きな言葉だったからだ。
「『世界』という言葉には『地球』にはない人と人とのつながりがある。『世界市民』という言葉には、私たち全員が宗教や人種、文化の違いを超えた、世界という社会の一員という意味がこめられている」
もし厚仁が21世紀に生きていれば、立派な世界市民として活躍したに違いない。厚仁の一周忌のとき、中田は大蓮寺(大阪市天王寺区)に建てた厚仁の碑にこう刻んでいる。
「Here Lies A World Citizen (世界市民ここに眠る)」
(敬称略)