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【この人あり】国連ボランティア計画終身名誉大使 中田武仁(6)
■両親に学んだ奉仕の精神
大阪に御堂筋が完成した昭和12年、中田は大阪市東区(現在の中央区)に生まれた。生家は、大阪城にほど近く、周囲には陸軍病院や兵器工場があった。
父の守雄(故人)は地元の有力者で、大阪市議と府議、府議会議長を務めた。「親父(おやじ)、なんて気軽に呼べない存在でした」。兄2人で、姉が2人。末っ子の中田は、父に甘えた記憶がほとんどない。
母の初野(同)は、女性として第1期となる家庭裁判所の調停委員だった。「世の中のために時間をささげるのは当たり前と思っていた」という子供時代。中田は両親の背中に奉仕の精神を学んで育った。
8歳のとき、空襲で生家が焼けた。幼いながらに死を身近に感じた。「世の中、砂糖菓子のように甘いものばかりじゃない」。中田独特の価値観は、このときの体験がもとになっているという。
もっともおとなしいばかりではなかった。学校の成績はよかったが、先生の言うことばかりを聞く「優等生」ではなかった。
「先生にはやんちゃ坊主(ぼうず)と思われていたんじゃないですか」
例えば、歴史の時間。「東日本からは縄文、西日本からは弥生時代の遺跡が多く出土する」と教われば、「西の掘り方が浅いだけとちゃう?」と返した。英語の時間には英文をわざと擬古文調で訳し、「日本語には変わりない」と言い返したこともある。
大阪市立大で国家財政を学び、卒業後、三井系の商社トーメンに入社。中田にとって、商社マンという人生もまた、社会貢献のあり方のひとつだった。中田が考える貿易の魅力を言い表すイギリス民話がある。
《貧しい孤児のディックは貿易商に拾われた。ディックは主人の貿易船に、唯一自分の持ち物だったネコをのせた。みなは「売れない」と笑ったが、貿易先の国ではネコが珍しかった。ネズミのいたずらに悩んでいた王様は大喜びし、ネコを高値で引き取った》
「場所が変われば、ものすごく値打ちがあって、相手から『ありがとう』と喜ばれるものがある」
商社時代に英語とポーランド語を習得し、ドイツ語やイタリア語もかじった。
中田は期せずして名誉大使となり、世界を飛び回り、ボランティア活動を続けた。その生き方を支えたのは、商社時代の経験と、記憶の中の両親の姿だった。(敬称略)