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【この人あり】3期12年のつもりだった 前兵庫県知事・貝原俊民(8)
「選挙の出馬など思いもよらなかった」。貝原は初当選後にそんな感想を述べている。しかし周囲の見方は違った。地方自治に精通し、謹厳実直。副知事になった貝原に寄せる期待は日増しに高まっていた。
戦後、知事が民選となって以来、兵庫県では「知事は2選まで」が慣例で、貝原の前任の坂井時忠も2選で退く意向だったが、後継者の副知事が急逝。結果的に坂井は4期を務め、74歳で退く。その間、貝原は坂井を支え続けた。
「ずっと坂井知事に仕えていたためか、何となく後継者と目される立場になった」
昭和61年、初めての知事選。貝原の選挙母体となったのは県OBが中心の「素人集団」だったが、共産党推薦候補を破り、初当選を果たす。当選後、「こころ豊かな兵庫」というスローガンを掲げる。知事の椅子(いす)に座り、改めて県民性を考えた結果だ。
貝原流の分析によれば、京都は伝統の雅(みやび)、大阪は商いの賑(にぎ)やかさ、神戸は洗練されたライフスタイルを求める。兵庫県民は伝統的に「生活の質」を大切にする。貝原は独特な言い回しで「生活の科学化、文化化に続く社会化」と言う。経済発展を中心に据える大阪府政とは、全く異なる県民性だった。
貝原は、そのスローガンを形にしていく。例えば、それは森林開発規制や福祉のまちづくり条例制定であり、芸術文化センター建設や大型放射光施設「SPring−8」、淡路花博「ジャパンフローラ2000」だ。粘り強く政策を実現していく貝原らしいエピソードがある。
淡路花博の際、貝原は建築家の安藤忠雄にグランドデザインを依頼したが、安藤は一時、構想の大きさから断った。「そう言わずに」。貝原は花博の意義を何度も説き、安藤に再考を促す。了承の返事を得たのは半年後。粘り勝ちだった。
《淡路花博(国際園芸・造園博覧会)は12年3月から約半年間、淡路島で開催。79カ国・地域の259団体が参加し、入場者は約700万人。自然の再生と創造を訴え、環境保護イベントの先進的事例とされる》
貝原は当初から知事職は3期12年と考えていた。副知事時代から手がけた15カ年計画「兵庫2001年計画」も順調に軌道にのった。震災直前には「次の長期計画は新しい人に作ってもらおう」と考えた。引退が頭をよぎり始めた。
しかし知事人生の幕引きは遠かった。最終章で、阪神・淡路大震災という未曾有の大惨事が待ち受けていた。
(敬称略)