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【この人あり】前兵庫県知事・貝原俊民(6) 大学時代に地方自治志す

2008.4.8 02:24

 貝原は昭和8年、佐賀県武雄町(現武雄市)で時計店を営む父・義勇、母・ヌシの次男として誕生した。決して裕福ではなかったが、何不自由なく育った。山や川を駆け回り、わんぱくぶりを発揮。とくに夢中になったのは、全国大会で個人優勝した兄より筋がよいといわれた剣道だった。終戦で禁じられ潰(つい)えたが、全国優勝という夢も抱いた。

 21年、旧制中学最後の入学生として武雄中に進学。地域には、終戦直後の影が色濃く残っていた。戦地に赴いて亡くなった人も多く、墨で修正した教科書を使って農業を教えた道徳教師、苦労して買った水田を農地解放でタダ同然で没収された人…。「子供心に英霊を敬っていた」と思う一方、「人の一生の値打ちはどんなことで決まるのか分からなくなった」と感じた。多感な貝原少年は学校の図書室に通い、ルソーの「エミール」や幸田露伴の「幸福論」を読みあさった。

 高校時代は、医学部進学を夢見た。「社会の価値観が変わっても、人の命を救う医者なら、その重要性は変わらない」と思ったからだが、賛成してくれた母に対し、父は東大法学部進学を強く勧めた。

 《父・義勇の無二の親友に当時の衆院議員、大坪保雄がいた。東大法学部卒業後に内務省入りし、長野県の官選知事などを務めた人物で、この影響が大きかったとみられる》

 貝原は武雄高校2年の途中で都立北園高校に転校。東大文学部からジャーナリズムの道に進んだ兄と自炊生活を始めた。昭和26年、食糧配給制がまだ続いていたころ。東大進学後は「そんなに勉強もせず、といって政治運動に首を突っ込むこともなく、専らクラシック音楽などを楽しんでいた」と言う。

 《当時の東大法学部には著名な学者が多く、貝原の下宿先(本郷)の同居人には、後の東大教授で租税法の権威となった金子宏らがいた》

 戦後の混乱から抜けつつあった当時、国内では国連加盟問題が浮上していた。憲法9条をそのままにして加盟すれば、武力以外で国際紛争を解決する策を国際社会に提案すべき−との議論に、貝原も参加。興味は政治行政に移っていた。

 「父が『公』にかかわることの大切さを説いていたことがようやく理解できた」。曲折はあったが、貝原は地方自治をライフワークにする決意を固める。

 それが、進路先を自治省に定めたきっかけだった。(敬称略)

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