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【群馬の廃線】赤城登山鉄道 観光の目玉わずか10年
夕闇が迫ると、赤城山頂の気温は一気に下がる。標高約1380メートルのケーブルカーの駅に設置された温度計は氷点下を示した。駅員が時計を確認し、発車ベルのボタンを静かに押す。
「ジリリリリン」
昭和42年11月3日午後5時20分、35人の乗客と駅員ら従業員15人を乗せたケーブルカーはゆっくりとホームを離れ、山を下りていった。赤城登山鉄道が、わずか10年という短い歴史の幕を閉じた瞬間だった。花束贈呈などのセレモニーはなく、住民や鉄道ファンに見送られることもなかったという。
32年7月の開業時からケーブルカーの運転をしていた元運転士、塩原昭夫さん(72)=富士見村=は「あっけなく終わった。寂しさと悔しさがこみ上げた」と振り返る。
赤城山観光の目玉として誕生した赤城登山鉄道は、黒保根村(現桐生市)の利平茶屋駅と富士見村の赤城山頂駅間の約1.1キロを結んだ。高低差363メートルという赤城山の急峻な地形に合わせて建設されたため、日本では初めて、カーブ区間の多いケーブルカーとして知られている。
利平茶屋駅には、東武鉄道が赤城駅からバスで連絡。同鉄道は33年、ケーブルカーの開業にちなんで新大間々駅(桐生市)を改称したといい、赤城山の玄関口としてPR、東京・浅草駅から直通する急行電車や夜行列車を走らせた。
赤城山観光は35、36年ころにピークを迎え、夏は登山客、冬は赤城大沼のスケート客でごった返した。定員120人のケーブルカーは終日満員、駅前には乗り切れない観光客で長蛇の列ができたという。
当時、桐生女子高校の高校生だった斎藤利江さん(68)=同市=は「山の中を走るあのケーブルカーに乗ったときの感動は忘れられない」と懐かしがる。
しかし、41年に前橋市と赤城山を結ぶ赤城有料道路(現県道4号線)が開通すると、赤城山観光はマイカーが中心となり、ケーブルカーの役目は、そのとき終わった。
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県内にはかつて、地域住民や観光客の足として親しまれた鉄道が各地に走っていた。いずれも昭和30、40年代に次々と姿を消してしまい、往時の姿を知る人が次第に少なくなっている。廃線の記憶をたどった。