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「鉄道王」根津嘉一郎 経営にとどまらず幅広い活躍
東武鉄道や東京地下鉄道(現東京メトロ)など全国24社の鉄道会社の経営にかかわり、明治−昭和初期に「鉄道王」と呼ばれた根津嘉一郎(1860−1940年)の生家が、「根津記念館」として山梨県山梨市にオープンした。市が約5年かけて改修・一部復元したもので、10月11日の開館以来、観光客らが詰めかけている。この人気は、単なる利益を求めた経営の成功者にとどまらない、根津の幅広い活躍にあった。(末崎光喜)
「新しく何かを作るのではなく、地域にある宝を掘り起こそう」−。中村照人山梨市長の「フィールドミュージアム構想」の一環として、根津記念館は完成した。約6700平方メートルの広大な敷地に、根津一家が暮らした旧母屋や客人を迎えた迎賓館「青山荘」、米などの保管倉庫を改装した展示棟などが設けられた。
同記念館の石場正敏事務長が「多くの来場者が興味深く見学している」と話すのは、根津の生涯をパネルや書簡で紹介した常設展だ。古びたヤマハ製ピアノが、すぐに目に飛び込む。根津は県内すべての小学校に約200台を寄贈しており、“根津ピアノ”の愛称で年配の山梨県民にはなじみが深いという。
平等(ひらしな)尋常高等小学校(現山梨小学校)や武蔵大学・武蔵高校(東京都練馬区)を設立したほか、笛吹川の橋梁(きょうりょう)や山梨教育会付属図書館(現県庁第一南別館)の建設費の寄付も行っていた。
こうした社会貢献は根津が明治42(1909)年、渡米実業団の一員として米国を訪問したときの経験に由来。「石油王」のロックフェラーが事業で得た資金でシカゴ大学を設立するなど社会に還元していることに影響を受けたという。
「嘉一郎ゆかりの企業や学校関係者も数多く訪れており、人気につながっている」(石場事務長)のだ。
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根津は万延元(1860)年、山梨市正徳寺に豪農の次男として生まれた。家業の農業を手伝いながら県議などとしても活躍したが、転身のきっかけを与えたのは、東京で活躍した県内出身経済人の総称「甲州財閥」の先駆者、若尾逸平と雨宮敬次郎だった。
若尾から「将来有望な株投資は『乗りもの』と『あかり』」と教わり、九州鉄道や房総鉄道などの株の売買を繰り返した。その後、雨宮から「株よりも事業を興せ」と忠告され、事業家の道を歩み始めた。
明治32(1899)年、房総鉄道の取締役に就任して以来、根津は多数の鉄道経営に携わり、徹底した経費削減と路線延長で東武鉄道の経営再建にも成功。かかわった企業は確認できるだけで交通や電気、保険など公益性の高い136社に上るという。
甲府市の県民情報プラザで7月から始まったパネル展「やまなしおどろき!偉人館」では、首相を務めた石橋湛山と並んで県の偉人12人の一人として紹介されている。会社員の内藤早紀さん(23)は「“根津ピアノ”なら知っていましたが、事業家としての根津は知らなかった。そんなすごい人が県内にいたんですね」と、根津の社会貢献度の高さに感心していた。
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根津の生まれ故郷を訪ねようと、記念館の入館者は12月初旬にも2万人を突破する勢いだ。「常設の美術品があるわけでもないだけに、1年間に1万人入ればいい方」(石場事務長)という当初の予想を覆し、関係者らも驚きを隠せない。
中村市長は「年配の人には“根津ピアノ”という思い出があり、県内の若者も親から聞いて知っている」と話しつつ、「根津美術館(東京都港区)からびょうぶや茶道具を借りて企画展をしたが、県内に来たのは初めてということもあったのでは」と分析した。
さらに市は今後、1月7日に七草がゆを振る舞ったり、十五夜のときに月を見る会を開くなど「日本の歳時記を味わえる空間にしたい」(中村市長)という。山梨県の偉人の掘り起こしが、新たな県の名所につながったといえそうだ。