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明治32年建築の日赤長野支部を赤十字歴史資料館に
人道、公平、中立、独立、奉仕、単一、世界性−の7原則のもと、世界各地で活動する国際赤十字・赤新月運動。国内でも献血などの血液事業や赤十字病院を拠点にした医療事業などを行う日本赤十字社(日赤)として身近な存在だが、意外とその歴史にふれる機会は少ない。そんな歴史の一端に触れることができる施設が、長野市南県町の日赤長野県支部内に国内最古の支部事務所を改修してオープンした。(太田浩信)
長野県赤十字歴史資料館としてオープンしたのは、明治32(1899)年に「長野支部事務所・看護婦養成所」として建築された由緒ある建物。昭和41年に隣接して現在の「長野県支部・血液センター合同庁舎」が完成するまで、長野県内における赤十字事業の普及と拡大の拠点だった。一部に西洋風の様式を取り入れた建築物は、支部としての役割を終えた後も倉庫として使われてきた。他の都道府県では初期の支部事務所は現存しておらず、全国的にみても貴重な建築物だ。
社団法人日本建築学会が全国に残る第2次大戦以前の建物約1万3000棟を調査した「日本近代建築総覧」にも旧支部事務所は記載された。しかも、(1)姿形がよい(2)地域の歴史をたどる上で大切(3)その時代様式をよく示している−として、特にリストアップされた約2000棟のうちの1棟に選ばれている。
ただ、建築以来100年余りを経て老朽化が著しかったため、平成17年12月の評議員会で日赤本社に対する解体方針の申請を決定した。決定の前には、「取り壊す前に」と一般公開したところ、見学した多くの住民らが保存を要望。さらに本社からも「ほかにはない貴重な建物」として助言があり、検討を重ねて19年2月の評議員会で解体方針を正式撤回した。
現存部分全体を残すのは難しく、比較的状態が良かった支部長室や玄関部分を改修することに。床面積約360平方メートルあった旧支部事務所は、保存後には同78平方メートルほどの“ミニサイズ”となったが、改修にあたっては解体した建物の屋根瓦や窓ガラスなどを利用して、建築当時の姿をできる限り復元した。
1300万円余りをかけて保存復元した歴史資料館は、玄関部分に装飾付きの円柱が配され、天井部分には当時の洋風建築などに用いられた若草色の塗料が使われるなどモダンな意匠が施されている。館内には明治32年に伊藤博文が支部を訪れた際に記した赤十字精神を詠んだ漢詩の書をはじめ、長野県佐久市臼田に役所を置いた竜岡藩の最後の藩主で、日本赤十字社の前身の博愛社の設立に駆け回った大給恒(おぎゅう・ゆずる)の写真、歴代の社長や副社長の書など貴重な資料がズラリと並ぶ。
中でも目を引くのは、赤十字社の精神を体現して身の危険も顧みずに戦地に赴き、献身的に働いた看護婦ら救護員の記録だ。日中戦争が勃発(ぼっぱつ)した昭和12年の8月から14年2月までのおよそ1年半、中国沿岸などを行き来する病院船で負傷者や病人などの看護に当たった第44救護班の活動記録は、全国的にみても貴重な資料。29人の救護員が25回の航海を通じて4942人もの患者を収容した状況が詳細に記されている。また、活動記録とともに何枚かの写真も残されているが、旧支部事務所の玄関前で撮影した出発写真が往時の状況をしのばせる。
「戦地に赴いた救護班は、出発にあたって全員で支部の玄関前で記念撮影をしていた。救護員の方々にとってはまさに思い出の建物。その玄関部分を保存できたことは、非常に意義深いこと」と日赤県支部総務課の中村秀徳主事。昭和12年から第2次大戦が終わるまでに長野支部からは29班の救護班を編成し、840人の救護班を戦地などに派遣。32人が病気などにより殉職したという。
館内にはほかにも、明治23年まで救護員が肩に付けていたという肩章、同43年当時の救護員制服の生地見本なども展示されている。「日赤本社にもなく、おそらく長野県支部だけに残っている貴重な資料が数多くあることが、改めて分かった」(中村主事)という。
平成2年まで支部次長を務めた新井清水さん(77)=長野市在住=は「昭和34年に日赤に入って以来、慣れ親しんだ建物。だいぶ古く雨漏りがひどくなったが、床の木の板も厚くて今のコンクリートの建物にはない味わいがあった。貴賓室に看護婦さんたちも遊びに来ていたこともいい思い出だ。長いこと親しんできた立場からすれば、一部とはいえ保存されたことは懐かしいし、うれしい」と感無量の様子だ。
見学には電話での問い合わせが必要で、平日の午前8時半から午後5時15分の間に日赤長野県支部(電)026・226・2073。
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■赤十字 スイス人の社会事業家、アンリー・デュナン(1828〜1910年)が提唱。戦争などの負傷者、病人を敵味方の区別なく救護することが目的だ。地震や津波などの自然災害に対する救護活動も活発に行うなど幅広い人道的活動を繰り広げ、世界186カ国に赤十字社・赤新月社が置かれる。日本赤十字社は、明治10(1877)年の西南戦争の惨状に佐野常民、大給恒の両元老員議官が設立した博愛社が前身となる。
事業の柱は、世界各地の大規模自然災害や紛争などに対する救護員派遣や救援物資配布などの救護活動をはじめ、地域におけるボランティア組織としての赤十字奉仕団活動▽児童・生徒で組織する青少年赤十字活動▽救急法などの講習普及▽赤十字病院での医療事業▽輸血用血液製剤の安定供給を図る血液事業▽看護師養成−など。