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【正論】何のための「権力への意志」か 東洋学園大学准教授・櫻田淳 (1/3ページ)
このニュースのトピックス:正論
難局を切り開く姿勢も…
「ここを渡れば人間世界の悲惨、渡らなければわが破滅。進もう、神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵の待つところへ。賽(さい)は投げられた」
これは、ユリウス・カエサルがルビコン渡河に際して発した人類史上、最も有名な言葉である。誰でも、人生における重大局面で不退転の決意を抱いた時に、このカエサルの「賽は投げられた」という言葉を反芻(はんすう)するのであろう。
小沢一郎氏(民主党代表)が自らの秘書の違法献金事件に絡んで民主党代表の座を降りない決断を下した折、筆者は、このカエサルの故事を彼が頭に思い描いていたかもしれないと想像した。「ここで代表の座に踏みとどまれば日本の政治世界の悲惨、踏みとどまらなければわが破滅。進もう、『政権』という神々の待つところへ、われわれを侮辱した敵(政府・与党、検察、国民世論)の待つところへ。賽は投げられた」。「小沢・カエサル」が民主党所属議員を前に吐露した心境を翻案すれば、このようになるのかもしれない。「運命の女神は、自らの力量で組み敷くしかない」というニコロ・マキアヴェッリの教えに従えば、政治家に対して要請されるのは、難局を自ら切り開こうという姿勢であって、「運命を天に任せる」という姿勢ではない。
実際、日本では、「権力に恬淡(てんたん)であること」が政治家にとっての美徳であるかのように語られる向きがあるけれども、政治家の仕事は、強烈な「権力への意志」に裏付けられなければ、本来は務まらない。「権力への意志」を鮮明に示すことは、それが世の人々の眼には醜悪なものに映ろうとも、政治家の資質の第一である。その意味では、小沢氏の代表続投という選択それ自体は、決して囂々(ごうごう)たる非難に値するものではない。
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