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【正論】「民意を問え」という政治暴論 京都大学教授・佐伯啓思 (1/3ページ)
このニュースのトピックス:正論
国民の前に平身低頭だが
3月14日づけの「昭和正論座」に関嘉彦氏の論説が掲載(再録)されていた。初出は昭和50年2月8日とある。30年以上前のものだが、今書かれたといわれても全くわからないだろう。優れた先達の卓見というほかないのだが、また、日本の政治状況は、この30年、基本的に全く変化していないともいえる。
たとえば、この論説の冒頭で、関氏は次のように書いておられる。「いまの国会に足りないものは率直な議論とユーモアであり、多過ぎるものは野卑な言動である」と。その原因は何か。それは、指導者や政治家が、市民や消費者、労働者、国民、といった目に見えない集団の力におもねり、その力の前に平身低頭しているからだ、というのである。
まさしくその通りであり、その程度は今日さらに著しい。その結果、われわれは、今日の日本で、そもそも、「政治なるもの」が成立しうるのか、という疑問さえも発せずにはおれなくなっている。
プラトンは、『国家』の中で、民主政は、それが広く行き渡った時、まさに民主政のもっている長所が短所となって衰退する、と述べた。民主政の長所とは人々の自由を大幅に容認することである。だから、民主政の頂点では人々は最大の自由を謳歌(おうか)する。このとき、強力な指導者がでてきて国民に注文をつけると、人々は彼を罵(ののし)りもっと自由を求める。ところが、力のない指導者がでてくると、彼を、つまらぬやつだとののしる。
結局、民主政の中で登場するのは、「支配される人々に似た支配者」となる。もう少し今日的にいえば、もっとも平均的な国民に似た政治家である。文字通り「国民の代表」としての政治家だ。
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