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【鬼籍に入った政治家】(1)戦後政治の「大物」逝く 宮沢喜一、宮本顕治

2007.12.29 13:41
このニュースのトピックス政界、往く人、来る人
先進国首脳会議(東京サミット)で、記念撮影のために並んだ各国首脳に声をかける首相当時の宮沢喜一氏=1993年、迎賓館先進国首脳会議(東京サミット)で、記念撮影のために並んだ各国首脳に声をかける首相当時の宮沢喜一氏=1993年、迎賓館

 夏の参院選での自民党大敗、安倍晋三前首相の電撃辞任など、政界激動の年だった平成19年、歴史に名を残した大物政治家たちの死去も相次いだ。経済通、国際派として知られた宮沢喜一元首相は6月28日、87歳で死去した。「保守本流の旗手」として早くから頭角を現し、外相、蔵相など要職を経て平成3年11月、第78代首相に就任した。5年6月、政治改革をめぐって野党から提出された内閣不信任決議案が党内の造反もあって可決されたため、解散・総選挙に打って出たが、過半数割れとなり退陣。自民党一党支配の時代が終わった。

 「保守本流」を歩んだ宮沢氏の対極を歩み、戦後の革新勢力の象徴的人物だったのが共産党の宮本顕治元議長。7月18日、98歳で不帰の客となった。戦前、戦中の12年間を獄中で過ごしたが、戦後約40年にわたり日本共産党のカリスマ的最高指導者として君臨し、「革命政党」の礎(いしずえ)と歴史を築いた。昭和45年には委員長に就任。57年7月、議長に就き、平成9年9月、名誉議長となり一線を退いた。対外的には「自主独立路線」を掲げ、旧ソ連、中国両共産党との関係を絶った。対立分子との闘争を勝ち抜き一枚岩の「宮本共産党」を構築した。共産党ウオッチャーたちは、宮本氏を「戦後の闇の歴史を背負った最後の大物政治家の一人」と評する。(つづく)

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先進国首脳会議(東京サミット)で、記念撮影のために並んだ各国首脳に声をかける首相当時の宮沢喜一氏=1993年、迎賓館
第2次池田第2次改造内閣で、経済企画庁長官として初入閣を果たした宮沢喜一氏=昭和37年7月18日、首相官邸
記者会見で新2000円札の図柄を発表する蔵相時代の宮沢喜一氏=平成11年10月29日
宮沢政権最後の閣議を終えて、職員らに見送られて官邸を去る宮沢喜一氏=平成5年8月5日、首相官邸
武蔵高校入学にあたり、家族と記念写真におさまる宮沢喜一氏(右端)=昭和11年
参院選に向け、ジェスチャー交じりで街頭演説する宮本顕治氏。全国区から出馬して初当選した宮本氏はこの後、参院議員を2期12年務めた=昭和52年6月17日
参院選で当選し、初登院する宮本顕治氏=昭和52年7月27日、国会内
講演の後、支持者らに手を振る宮本顕治氏。左は不破哲三日本共産党委員長(当時)=平成4年11月3日、東京・夢の島公園
90歳を越え、車椅子姿の宮本顕治氏=平成11年2月1日、東京都多摩市(撮影・後藤徹二)
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