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ランブイエ宣言の原点 サミットらしいサミット見たい (1/2ページ)
原油高に伴うインフレ、不況、金融不安−。北海道洞爺湖サミットは、世界経済がサミットの発足当時とよく似た情勢の中で開かれる。
第1回サミットが開かれたのは1975年11月、パリ近郊の深い森にある古城ランブイエだ。参加首脳は仏独英伊日米のわずか6人だった(翌年からカナダも参加)。
当時は冷戦さなかの時代である。「西側の盟主」の米国は、ニクソン大統領辞任(74年)やベトナム戦争の後遺症で政治も経済も失意のどん底にあった。第1次石油ショックが世界を襲い、西側諸国はドル危機や原油高がもたらす多重苦にさいなまれていた。
「このままでは西側経済が内から破(は)綻(たん)し、冷戦に敗れかねない」。会議を招請したジスカールデスタン仏大統領にはそんな危機感があった。古城にこもって3日後、初のサミット宣言(ランブイエ宣言)の第2項はこう述べていた。
「われわれが集まったのは共通の信念と責任を分かち合っているからだ。われわれは個人の自由と社会の進歩に奉仕する開かれた民主社会の政府に責任がある」
以来33年、サミットの星霜には多くの成功や失敗と時代的課題を示すテーマが刻まれてきた。世界経済が中心を占めた70年代、ソ連に対抗する政治・安全保障が焦点となった80年代。ソ連崩壊後の97年、「民主化」を誓うロシアを正規メンバーに迎えて「主要国首脳会議」と改称した米デンバーサミットが開かれた。今のG8(主要8カ国)体制の始まりだ。