第2次大平内閣に対する不信任決議案が昭和55年のこの日、自民党議員の大量欠席などの造反があり、可決。同案は、政治腐敗の真相究明に対する大平内閣の消極的な態度や、健康保険制度の改善を怠ったことを理由に社会党が提出していた。
報道陣にもみくちゃにされる大平首相。即日、解散を決め、「ひょうたんから駒の解散」などといわれた。衆参同日選挙になったが、大平首相は狭心症で入院し、選挙戦中の翌月12日に急死。弔い合戦となり、両院とも自民党が圧勝した。