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【詳説・戦後】第10回 サミット(4)日本開催のときは政局 (1/2ページ)
このニュースのトピックス:安倍前首相
サミットの日本開催には不思議なジンクスがある。その年に必ず衆院解散・総選挙が行われ、ときには首相退陣に至る政局に発展してきたということだ。
昭和54年の東京サミットは、10月の総選挙で自民党が過半数を獲得できず、福田、三木両派など反主流派が大平正芳首相の責任を追及、「40日抗争」に発展した。首相指名選挙も反主流派が福田赳夫元首相に投票、大平氏が決選投票で勝利したが、事実上の「少数与党内閣」となった。
次の東京サミットの61年は、中曽根康弘首相が「死んだふり解散」を行い、自民党は衆参同日選で300議席を上回る圧勝、総裁任期が1年延長され、中曽根政権が続いた。
平成5年の東京サミットは、直前の6月18日に政治改革関連法案をめぐり、宮沢喜一内閣不信任決議案が可決。宮沢首相は解散・総選挙に踏み切り、選挙期間中にサミットが行われる異常事態となった。結果は自民党が大敗、非自民連立の細川護煕政権が誕生した。
12年の九州・沖縄サミットは、4月に小渕恵三首相が死去、森喜朗政権が誕生したが、6月の総選挙では森氏の「神の国発言」などで自民党は議席減。11月には野党が森内閣不信任決議案を提出し、加藤紘一元幹事長らが賛成に回ろうとした「加藤の乱」が起きた。