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岡本行夫氏特別寄稿「インド洋に補給艦戻せ(3)完」 (1/3ページ)
(続き)
「湾岸」の失敗
似たようなことが湾岸戦争の時にもあった。
90年8月2日にクウェートに侵攻したサダム・フセインに対峙(たいじ)したアメリカは国際行動を呼びかけ、日本にも掃海艇や輸送艦や輸送機や医師団や人員の派遣を要請してきた。日本は結局すべてにゼロ回答だったが、その後、政府は民間から1隻の船を借り上げて米軍物資の輸送に提供した。平戸丸という。
しかし米軍は「平戸丸は不要」と言ってきた。日本の申し出があまりにも遅く、既に湾岸への配船計画は決まっていたからだ。今度は日本が、「断られるのは困る、使ってくれ」と頼み込む番だった。アメリカは決定を政治レベルにまで上げて、最終的に平戸丸を受け入れた。配船計画のやり直しを命じられた米軍の担当者たちは音(ね)をあげた。
問題はそれからだった。日本は「平戸丸には武器と弾薬は積むな」と米側に通告し、しかも「武器」の定義については日本の貿易管理令別表に従えと言ったのである。作戦行動に忙殺されていた米軍の怒りは頂点に達した。決まっていた配船計画を仕方なく変更して物資を日本船に積もうとしたら、今度は、(法律上は問題ないが)国会で問題にされるから日本の政令に従ってくれと。「戦争妨害に来たのか、消えてくれ!」という声が米軍担当者の間に噴き出した。当然だろう。
あのとき米軍を怒らせたのは国会ではなく日本政府だった。しかし、日本全体がフセインの侵略に対決する国際行動に背を向け、国内の国会審議だけを重視して葦の髄から天井の局部をのぞいていた点では、今回と同じだ。
湾岸戦争で世界中から嘲笑(ちようしよう)された日本は、その後15年間かけて国際安全保障への貢献を積み重ねてきた。しかし、国会の議論は再び90年代に戻った。大局を見失い、各国が被っている甚大な犠牲に思いをかけることなく、粗(あら)探し議論に終始する。
湾岸戦争のときにクウェートを救うために湾岸に人を送った国は27カ国。日本の名前はそこにはなかった。
いまアフガニスタンを救うために人を送っている国は40カ国。日本は、大局を無視した審議を繰り返し、結局、そこからもいなくなった。

