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ニュース: 訃報

木南道孝氏(大阪陸上競技協会名誉会長)死去 (2/2ページ)

2008.5.9 13:03
木南道孝氏木南道孝氏

 気骨のある人だった。周囲からは「時期尚早」といわれた女子マラソンを、大阪で開催するため、1981(昭和56)年夏から精力的に活動した。「ハーフマラソンでいいじゃないか」の日本陸連内部の声に「(77年に)東京でできた大会が大阪でできないはずがない」と説いた。海外選手の招集などで毎月のように東京へ出向くなど、大会開催に向けて熱心に取り組み、82年1月に開かれた第1回大会を成功に導いた。

 果断の人でもあった。1995(平成7)年の阪神淡路大震災では、当時の日本陸連会長だった青木半治氏と協議し、史上初めて大会を中止した。社会的な配慮をした結果の決断である。

 180センチの長身、白髪をなでつけ、スーツ姿がさまになる紳士だった。シャイで、無駄口はきかない。だから、どことなく、近づきがたい雰囲気もあった。

 しかし、実はユーモアのセンス豊かな人だった。1920(大正9)年10月23日生まれ。52年に出場したヘルシンキ五輪のことを聞くと「行っただけや」と言って笑った。だが、18歳で百十メートル障害の日本選手権に優勝。戦争をはさみ、14秒5の日本記録をマークしたときが30歳。五輪出場を果たしたときは31歳になっていた。陸上競技にひたむきに取り組んだ結果が、競技者としては遅咲きだった。その成果が五輪出場だった。

 体調がすぐれず、好きだったゴルフもやめた。以前はマージャンの卓もよく囲んでいた。「年をとったら目がかすんでチョンボばかりや」。そういって周囲を笑わせながら。

 インタビューをするたび「あなたの好きなように、よろしゅう書いといて」と言ってくれた。大阪の陸上界を担いつづけた懐の深いあの「会長」はもういない。

  (正木利和)

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木南道孝氏
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