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【古典個展】立命館大教授・加地伸行 「古稀高齢者」と言い換えよ
なじみの歯科医院から定期検診案内のハガキが来た。添え書きにこうあった。「歯の清掃に来てください」と。なるほど、「清掃」なあ。
先日、大阪市道を歩いていると、視覚障害者用の黄色の誘導タイルに、こういう文言が貼ってあった。「これは目の不自由な方のものです。モノを置かないで!」と。
この文、おかしい。「…のもの」というと所有物の意味。天下の公道なんだから、それはないよ。
この文言を考えた当人も、この「もの」で話がややこしくなったと思ったのか、文中の片仮名の「モノ」については赤色の表示にしている。これは物体の意。御苦労さん。
この文、こう書くべきだ。「これは目の不自由な方のためのものです。物を置かないでください」とでも。
しっかりせい、市の役人よ。文は人なりと言う。
賃金あげろと騒ぐ前に、国語力をあげるほうが先ではないか。
国語力と言えば、今はやや下火になったが、「後期高齢者」ということばが気に入らないと日本中が騒ぎに騒いだ。あわてた政府は「長寿者」と言い換えて収拾を図ったが、この換言、国語力不足を否めない。
と言うのは、「長寿者」では意味がはっきりしないからである。
現代日本では、60代は長寿者とはしない。生きていて当たり前だからである。70代もはっきりしない。長生きのようであり、そうでもないようでもある。
日本人の平均寿命は、ほぼ男性で79歳。女性は86歳とのことであるから、今日では、80歳以上あたりから長寿者という感じではなかろうか。
「後期高齢者」は、法的には75歳以上であるから、「長寿者」と言うと、なんだかわれわれの感じに合わない。
それに、国語的におかしいぞ。「長寿者」とは、年齢の線引きのことばではなくて、敬意の表現なのであるから、長寿医療制度と言うのなら、長寿者には医療費を無料に、あるいは格安にします、ということでないと、平仄(ひょうそく)が合わない。
というふうに、「長寿者」ということばの選択に、どうも国語力の低下を感じる。
法案の作成に関わる霞が関の学校秀才たちは、受験生のころ、英数国主要3科目とは言うものの、だいたいにおいて英数2科目秀才である。
英数特進コースなんてところでお勉強するものだから、英語学習が極まって、グローバル化だのとふらついたり、数学学習の果てに、医療保険の難問を解くには、条件Xは、75以上としたり顔。
私は「毎日(まいにち) 江頭(こうとう)(「紅燈」ではない。行楽地の曲江(きょくこう)という池のほとり)に酔(すい)を尽(つく)して帰(かえ)る」ほどではない不良老人だが、「人生(じんせい) 七十(ななじゅう) 古来(こらい) 稀(まれ)なり」(杜甫「曲江」)と言うではないか。「古稀(こき)」70歳だ。もし国語力があれば、「後期高齢者」などという冷たい数学的表現ではなくて、せめて「古稀高齢者」とでも言え。
国政家たる者、そういう「雅言(がげん)」を心得よ。『論語』に曰く、「人(ひと)の過(あやま)つや、各々(おのおの)其(そ)の党(とう)に於(お)いてす」(里仁(りじん)篇)と。この「党」とは、人格的段階といった意味であるが、いやいや、そのまま近頃の政党の意に充(あ)ててもよいか。(かじ のぶゆき)