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【from Editor】「51歳の左遷」から
取材の裏話を明かすのは潔しとしないが、一つ書く。東京都が、五輪開催候補都市として正式に名乗りを上げることを、最初に報じたのは産経新聞だった。平成17年夏。社会部の都庁担当記者、運動部のJOC担当記者が水面下の準備状況を取材し、空気を読んだうえで、最後に石原慎太郎知事の「言葉」がほしかった。
その「取材」の場に、知事と当時の日本サッカー協会会長、川淵三郎キャプテンの対談の席を借りた。取材を通じて旧知の川淵さんは、事前に快く了承していただいたばかりではなく、「宣言」を引き出す後押しもしてくれた。
対談で、知事と川淵さんは芝生の話題で盛り上がった。都が環境対策として校庭芝生化に予算計上したことに、川淵さんは「子供をもっと外で遊ばせるために、というだけでは少し迫力に欠けた。地球温暖化対策とはなるほど」と感心しきりだったが、芝生に固執する迫力なら負けていない。
川淵さんも選手として参加した東京五輪の代表チームがドイツ遠征で見た広大な芝のグラウンドの数々。日本でこの光景を実現させるには。芝のグラウンドを増やすには。考えに考えた帰結が、Jリーグの創設、拡大路線であり、W杯招致だった。青臭い理想論が根底にあったから、紆余(うよ)曲折を経つつそれは実現した。
新たな東京五輪の招致はひとまず失敗に終わったが、ここに至る環境問題への取り組み、世界へ向けた数々のメッセージが、無駄なものだったとは思わない。
それにしても、と人生の不思議を思う。川淵さんは今夏、新著「『51歳の左遷』からすべては始まった」(PHP新書)を上梓(じょうし)した。現役引退後、サラリーマン人生を全うしようと古河電工での仕事に没頭していたのに、予期せぬ左遷を機に再びサッカー界に身を投じた男の物語。「良き独裁者を目指した」「失敗とはミスをすることでなく、ミスを取り返そうとしないこと」「シュートなくしてゴールなし」。スポーツライター、増島みどり氏の構成による、川淵節満載の書でもある。
3日発表された平成21年秋の叙勲に川淵さんの名があった。旭日重光章。FWとして東京五輪で得点し、日本代表監督も務めたが、叙勲の対象となったのは主に、Jリーグの創設であり、W杯の招致。自身、想像もしなかったという「左遷後」の功績だった。
そんなこれからがあり得るのかなと、51歳のいま、強く思う。(編集長 別府育郎)