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【古典個展】立命館大教授・加地伸行 わけ知り顔に言うのは楽
世の中、不景気、節約、節約。という話のはずなのに、5月の連休中、人出は多かった。いったいどうなっているんだろう。
こちらはカネもヒマもないので、連休中は生け垣の剪定(せんてい)とあいなった。幸い娘婿が手伝ってくれたので助かったものの、毎年、手を焼くのが樫(かし)の木。
「栂(つが)の木の、いやつぎつぎ天(あめ)の下(した)しろしめししを…」ではなくて、「樫の木の、いやつぎつぎ…」で、葉の茂(しげ)ること、繁(しげ)ること、生命力に溢(あふ)れている。
植物など切ればおしまいなどと思っては大誤り。植物は切られても静かに復活をとげる。弱そうで実は強い。
しかも反抗する。木末(こずえ)を切って上へ伸びるのを防ぐと、幹が太くなり図太い形となる、逆に、優しく木末の繁茂を認める剪定をするとつけあがる。中間あたりから下の葉はしだいにまばらとなってきて頭でっかちとなり不格好。
思わず罵声(ばせい)を浴びせても、相手は木だからものを言わない。しかし私の文句に黙ってやりかえしている。『老子』の「言(ものい)わざるの教(おしえ)」というところか。
このように、植物相手でも大変なのであるから、まして人間相手では気合が必要。
どういう風の吹き回しか知らないが、大阪の学者・研究者先生たちの「暮らしと平和を守る」というパンフレットが私に送られてきた。
読んでみると、ま、夢のような話がいっぱい書いてあり、それを実現しようというわけである。
例えば「私立大学の経常費の50%を国が補助せよ」とある。なるほどそうなると経営は楽になるだろう。しかしそれでは第二国立大学(独立行政法人)になってしまうではないか。
国立大学とは異なることをしてこそ私立大学の意義がある。私がいま勤めている立命館大学において、この4月から他大学にはない特色ある講義が開講された。立命館大学が生んだ大学者、白川静(しらかわ・しずか)先生の学問すなわち白川学の講義である。
世の中、カネを出して口を出さないということはありえない。文科省から50%もの補助を受ければ、それ相応の規制がなされるのは目に見えている。それが分かっていないお人好(よ)し願望だ。
かと思うと、こう言う。「ゆきすぎた規制緩和を見直す」と。なんと文科省に規制してくれと頼んでいるではないか。これでは私立大学の基盤を揺るがすことになってしまう。
また「研究者が自由に使える研究費を十分に保障する」とある。これ大嘘(うそ)。研究費というのは、研究のケースごとに違うのであって、自由にとあれば、1億円でも10億円でもとなり、どうしようもなくなる。金額の制限があるのが正常なのであって、それを「自由に使える」などと言うのは、研究とは何なのかが分かっていない者の泣き言でしかない。
もし研究費が足らなければ、己(おのれ)の生活費を削ってそれに充てるというのが研究者の心構えである。それは嫌と言うような者は、さっさと研究者への道を断念することだ。研究者となるには、まず覚悟である。
わけ知り顔に言うのは楽。愚直に生きるのは難しい。「其(そ)の知には及ぶべし。其の愚(ぐ)には及ぶべからず」(『論語』公冶長(こうやちょう)篇)
(かじ のぶゆき)