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【2030年】第2部 ふるさとはありますか(7)災害で消えた村 ガリ版刷りの「未来図」 (3/3ページ)
つながる人と人
災害だけではない。炭坑や鉱山の閉山、ダム建設…。わが国の地方の戦後は下山の歴史でもある。残された村は、一度人が離れれば、全く別のものに変わってしまう。最近では過疎や高齢化で維持が困難になった集落は、補助金を出して「強制移転」させるという議論も浮上している。
多くの「下山者」を見てきた森山さんは「ふるさとは簡単には捨てられない」と話し、こう続けた。「よく自然あふれる田舎暮らしに憧れる人がいるが、その自然は誰が守ってきたのか。そこに住む人と人のつながりが守ってきたのではないか。コミュニティーがあったからこそ田舎は田舎であり続けてきたんです」
田麦山地区では、その後新たな動きも出てきた。森山さんに続く世代から地域の担い手が少しずつ現れ始めたのだ。3年前には、地元では「若手」とされる40〜50代の住民20人が「いきいき田麦山」と呼ばれるグループを結成。自然の中での音楽会や雪祭りなどの催しを定期的に開くようになった。昨年廃校となった田麦山小学校は、その準備や会合で夜遅くまで灯りがともることが増えたという。
メンバーで家具職人の森山鉄也さん(51)は「地震のせいで人生が変わった人が大勢いた。逆に地震のおかげで周囲の人のありがたみを知った人もたくさんいた。だからこそもう一度地域のコミュニティーを見直したかった」。
山を下りた小高の人々も昨夏、新しい集落に薬師堂を建て、がれきの中で残った如来像など3体を移した。昭和20年代から毎年、秋分の日に稲刈りの手を休めて続けてきた運動会も、新しい空き地で再開した。ふるさとは消えても、そのコミュニティーは淡々と蘇り始めている。
20年後、この地域はどうなっているのか。「たむぎやま」の森山さんに尋ねると、33年前の昭和51(1976)年に自身が執筆した記事を取り出した。1面トップは「50年後の田麦山」。くしくも「2030年」に希望を込めたような記事だった。
《私達の田麦山は過疎の不安におののいた時代から早50年が経った》
《村の鎮守も、家並みもそのまゝだが、何かが違う。住む人の活気がみなぎっていることだ》
《どうしたら村を住みよくできるか。楽しい、より良い人生がつくれるか。毎晩のように「青年の家」には灯りがついて、若者が集まってくる。彼らは語る。「オラの時代に村づくりを一生懸命やってけば、五十年後にソ、百年後にソ、絶対ソ、その成果がでると思うがんだテ」》
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