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【年頭に】論説委員長・皿木喜久 日本人の「流儀」にこそ活路
平成の時代になって、20回目の新年を迎えた。
この20年だけでも、日本人はバブル崩壊による大不況をはじめ、阪神大震災などの災害、拉致問題をめぐる北朝鮮の横暴、と数知れない辛酸をなめさせられた。
しかし昨年秋の米国金融危機に始まった世界不況は、これまでとはまるで違った強い衝撃を与えている。危機は専門家でもまったく予測できずに始まった。しかも誰にも止めることのできない不可抗力に近いものだったからだ。
日本人はその前で立ちすくんでいるしかないようにも思える。だが、その衝撃があまりに強かったがために、日本の進むべき道がかすかながら見えてきたような気もしてならない。
◆モノ作り忘れた米国
今回の危機で、日本と米国との関係が、イソップ寓話(ぐうわ)「蟻(あり)とキリギリス」に例えられることがあった。夏、蟻が一生懸命働いているとき、キリギリスはバイオリンを弾き、歌っていた。冬となって食べ物に困ると、蟻に助けを求めた。だが蟻は「そのまま歌っていたら」と突き放す。
余談ながら、イソップの原話は「蝉(せみ)と蟻」である。北欧など子供たちが蝉を見ることの少ない世界に広まったとき、キリギリスに置きかえられたのだという。
蟻を日本、キリギリスを米国にそのまま当てはめるのは乱暴というものだ。両国関係が、寓話の結末のような状況にあるとは思えない。ただ、夏の間も冬のためにせっせと働くというのは、稲作文化にはぐくまれた日本人には美徳中の美徳だった。
一方、米国の金融危機の背景には、企業がモノづくりを忘れて金融、つまり金もうけに走ったことがあるとされる。国民も借金してはモノを買うという「虚構」の舞台で踊ってきたように思えてならない。その意味でイソップのキリギリスに似ていなくはない。
日本でも一時、企業を売り買いすることで巨大な富を稼いだ若い起業家たちが「時代の寵児(ちょうじ)」としてもてはやされた。そのひとりは「金もうけするのは悪いことですか」と叫んだ。
しかし、そんな「寵児」たちもインサイダー取引の疑いで逮捕されるなど、社会の表舞台から遠ざけられた。司直の手を借りたとはいえ、日本人の大多数はそうした強欲な資本主義に対して「ノー」と言ったのだ。
今、世界的な不況で、輸出に頼ってきた日本の企業は苦しんでいる。なけなしの金を資産運用で失敗した人々も多い。それでも世界的に見れば、日本は実体経済への影響が少ない方だとされる。
モノづくりを大切にするという「蟻型」の生き方を捨て切っていなかったからである。金融機関にも、いたずらに金もうけに走らず企業を育てる精神が残っていたからかもしれない。
◆ノーベル賞と日本人
日本経済が立ち直るために、米国が金融危機を脱し、健全な消費社会になってもらわなければならない。強い米国の復活は日本の安全保障にとっても必要だ。
だが、それとともに日本人が培ってきた「流儀」を貫くことこそが、この厳しい世界で生き残る道だ。それが今回の危機から学んだことである。
昨年12月、ノーベル賞授賞式前に、物理学賞の益川敏英さんが記念講演を日本語で押し通したことが、国際社会では畏敬(いけい)の目で見られた。60年前、日本人として初めて受賞した湯川秀樹博士の授賞式でも似たようなことがあった。
外国報道陣から湯川氏に変わった質問が飛んだ。
「日本人はイスに腰掛けてではなく床に座って書くと聞くが、あなたが論文を書いたときはどっちだったのか」
湯川氏の答えは「どっちでもない。寝床の中でした」。報道陣はドッとわいたという。
ささいなようでも、寝る間も惜しんで考えるというのが、日本人の「流儀」として新鮮に映ったのかもしれない。それを忘れかけていたのは日本人自身だった。