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【土・日曜日に書く】社会部次長・井口文彦 消えた含蓄「お茶くみ刑事」
「お茶をひく」という言葉がある。客のつかない遊女が茶葉を臼でひいているさまが語源のようで、働いても金にならない状況を指す。「お茶っぴき」とか「お茶っぴい」とも言う古い表現だが、刑事や検事の間では今もこの言葉が隠語として使われたりする。
彼らが言う「お茶っぴき」とは、検事調べの際、容疑者を検察庁の待合室で一日中待たせ、結局その日は調べを行わないことである。容疑者は居眠りはもちろん、私語も厳禁され、孤独と向き合わなければならない。態度の悪い容疑者を懲らしめる策らしい。
意外な取り合わせだが、「お茶」と「刑事」は言葉の上で相性が悪くない。たとえば「お茶くみ刑事」という言葉である。
◆古い刑事の口癖
石井慶治という刑事がいた。古い時代の警視庁捜査1課巡査部長、いわゆる「デカ長」である。
ある事件の見通しがつき、係長(警部)宅に中堅幹部が集まって酒を飲んだ。石井はこれをどこからか聞きつけ、係長宅に向かう。酔っている。宅に上がるなり、身長180センチ超の巨漢で柔道二段の石井は「てめえら、ろくな仕事もしねえくせに酒なんぞくらいやがって」と怒り、暴れ回った。
何を怒っていたか定かでないが、当人はとにかく泥酔している。翌朝、ミカン箱を手に石井が謝罪に走ってこれは収まったものの、その後も酔って上司を川に投げ込もうとするなど、その方面での問題は絶えなかった。この時代に目立った乱暴で無頼な刑事の典型である。
その特質として、事件にぶつかると家庭を顧みなかった。給料手渡しの当時、給料日にも帰宅せず、夫人は隣家から借金した。半面、捜査がうまくいったときはラジオの音楽に合わせて踊るひょうきんさも持ち合わせていた、と夫人が後に明かしている。
吉展ちゃん誘拐事件(昭和38年)で著名な平塚八兵衛と組み、容疑者を取り調べた。プロとして尊敬していたのだろう、石井は3歳年下の平塚を「兄貴」と呼んだ。
このとき石井はがんに侵されていた。本人は知らない。容疑者の否認に焦る平塚は、疲れを見せる石井に「慶さん、やる気がないなら帰ってくれ」と怒る。「兄貴、すまない」と小さくなって謝る石井は解決後、倒れた。
病床の石井を課長の津田武徳が訪ね、表彰状を読み上げ、警察官最大の名誉とされる警察功績章を手渡した。石井はただ泣き続けた。1年後の昭和41年に逝く。
石井の口癖が伝わっている。
「おれは頭がはげているけど、警視庁に行けばお茶くみ刑事だ」
◆「功利性」とは対極に
新人刑事はかつてお茶くみの洗礼を受けた。刑事課の流しに積まれた先輩の湯飲みに戸惑い、「熱い」と怒られ、「ぬるい」と凄(すご)まれた。気を回して湯飲みの渋を洗い流そうものなら「どういう了見だ!」と怒鳴られた。念願の刑事になりながら、ホシも捕れずにお茶で怒られる身を、新人は「おれはお茶くみ刑事」と嘆いた。
昔の話と言ってしまえばそれまで。だが、お茶くみには徒弟制なりの教育が秘められていたことも事実だ。OBはこう言うのだ。
「湯飲みの持ち主を覚え、刑事部屋の連中の好みを覚え、機嫌や体調をみて熱さや濃さを加減するというのは、実は刑事にとって大切な『人の複雑さ』を肌で覚えていくことでもあります。刑事の原点は聞き込み。取り調べはその延長。話を引き出すことです。人を見抜く能力を養う上で、お茶くみは絶好の訓練でした」
そういう視点で見ると、石井の口癖は、捜査1課ベテラン刑事の彼がなおも人を知ろう、目を養おうともがいていたことを示すのではないか−とも思えてくる。
今はお茶くみ刑事の悲哀はない。湯飲みにはマジックで名が書かれ、刑事部屋から罵声(ばせい)は消えた。同様に、一見理不尽に映りながらも職業人を育てる上で大切な厳しさも、この国の多くの職場から消えてしまった観がある。
「お茶」つながりでとんだ駄文になってしまった。ただ、最先端の金融テクノロジーで世の春を謳歌(おうか)した米国経済があっけなく倒れ、混乱した今年終盤の世界を見るに、日本的な経営や雇用が悪でグローバルスタンダードが善のように言われたこれまでの時勢とは何だったのだろうと奇異に思う。
お茶くみ刑事のような旧日本的なありようは、高い功利性を善とする国際標準とは対極的な位置にある。時計の針は戻せないにせよ、時勢にあおられて自分たちは忘れ物をしていないか、捨てる必要のないものまで捨てていないか、そんなことを考えさせられる年の暮れになった。=敬称略(いぐち ふみひこ)