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【街物語】(36)幻の特攻基地から旅立った若者たち (1/3ページ)
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8月の鹿児島。照り付ける太陽の下、一直線に伸びる遊歩道、そのかなたには東シナ海が広がっていた。この遊歩道は、太平洋戦争終戦間際の昭和20年、隼(はやぶさ)などの戦闘機が砂ぼこりを立てて次々と離陸した滑走路だった。操縦桿(かん)を握る若い隊員は特別攻撃隊。南薩摩地方の真夏の風景を、まぶたに焼き付けて死出(しで)の旅路へ向かったことだろう。
鹿児島県では知覧、鹿屋(かのや)、指宿といった特攻隊の出撃基地が知られているが、南さつま市加世田(かせだ)の日本三大砂丘の一つ、吹上浜の一角にあった「万世(ばんせい)飛行場」は、秘密裏に突貫工事で建設された陸軍特攻基地だった。昭和20年3月から7月までしか使用されなかったことなどから、「幻の特攻基地」といわれている。
基地は「幻」でも、万世飛行場から201人が特攻隊員として出撃、散華(さんげ)したことは厳然とした歴史の事実である。
◇
万世飛行場から飛び立った隊員には、17歳から20代前半の若者が多かった。
戻らなかった搭乗員の一人、第66戦隊所属の賀美(かみ)正一軍曹も21歳だった。地元に住む川口アヤ子(79)は、この青年の思い出が焼き付いている。当時、16歳だった。
「どういうきっかけで私の家に来始めたのかわからないが、何人かでよく来て私の母と話していました。賀美さんは早く実母を亡くしたと言っていたので母を慕っていたのかもしれません」
親しみを感じたアヤ子は、賀美軍曹に布と綿を使って作った10センチぐらいのマスコット人形を贈った。
昭和20年5月4日、出撃前の夜だった。「家の座敷であぐらをかいて、じっと上を見ていたのを覚えています。何を考え、何を話しかったのか」。出撃当日も賀美軍曹は川口さん宅を訪れ、1枚の写真を手渡した。
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