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【正論】雅量を欠くメディアの醜態 東京工業大学名誉教授・芳賀綏 (1/3ページ)
首相の観劇にも目くじら
ノーベル文学賞の受賞者でもあった大宰相チャーチルは、アマチュア画家の集団「チャーチル会」にも名が残った。日本の素人画家たちも、絵筆を持つ大指導者の閑日月を追体験できただろうか。
“日本のチャーチル”とは自称だったか他称だったか、ワンマン首相吉田茂は絵は描かなかったようだが、能筆の人で筆蹟は見事だった。他方、芝居の見巧者でもあったらしく、大磯からこっそり上京して歌舞伎を見たりしたという。もしそれが現職首相時代の話なら、露見でもしたら吉田嫌いの当時のマスコミに袋叩きにあうところだった。
平成の森喜朗元首相は、在任中、観劇露見で袋叩き以前に、歌舞伎を見る予定が知られただけでメディアは形相すさまじく、その圧力に阻まれて観劇もできなかった。
現職首相がゴルフ三昧(ざんまい)ではなく伝統の美の世界にもふれ、舞台に陶酔できて精神が潤えば明日の政治にプラスになる、と思ってもみないとは、メディアの想像力の貧困か。“無用の用”の観念すらないのか。
もしくは、国政多事のおりに芝居とは、と他者の閑日月を嫉妬(しっと)したのだったら、戦中の日本人が「この非常時に遊んどるとは非国民」と相互監視でうるさかった、あのケチな了見とまるきり同じだ(自己の麻雀(マージャン)は可、他者の観劇は不可とは理不尽な)。
高学歴無教養社会の縮図
チャーチルよりずっと昔の英国議会の話だが、重要テーマをめぐる攻防に朝野両党が息も抜けぬ真っ最中、一議員が動議を出した、「きょうは首相の誕生日だ。首相が家族とすごせるように、たまには審議を早めにやめたらどうか」。ホッとさせる“雅量”は、往時の大英帝国の風格さえ感じさせるではないか。
取材者・被取材者とも雅量欠如の日本は、経済ばかりが大国で精神小国から一歩も出られずにいる(観劇未遂の次の首相がオペラを見るのをほめそやした時だけは、突如メディアが精神大国入りしたのか?)。