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【時々、すっぴん】大阪・文化部 亀岡典子 ’08北京「日本人の誇り」とは

2008.8.20 03:22

 砂ぼこりがサーッと舞い上がった。思わず目をつぶる。木陰も何もないかんかん照りのグラウンド。石の塊が連なったアーチをくぐり、石板のスタートラインに立ったとき、ふいに古代オリンピックのアスリートたちの雄姿が幻のように見えた気がした。

 4年前の8月、ちょうどアテネでオリンピックが行われていたとき、私はオリンピック発祥の地、ギリシャのオリンピアにいた。「アテネ五輪中のギリシャ各地を歩き回って、風土や人々の生活を毎日書き送ること」。それが私の取材であった。

 首都アテネから西に向かってペロポネソス半島を長距離バスで延々6時間あまり。たった1人、重たい荷物とともにたどり着いたオリンピアの町は拍子抜けするほど小さく、町の中心から歩いて数分のところに古代オリンピックが行われていた競技場や体育館の遺跡があった。オリンピックの原点に立った。そんな感慨があった。

 あの日、オリンピアの町に食事に出掛けると食堂のテレビで女子マラソンの野口みずき選手が優勝した瞬間が映し出されていた。「やった!」。自分が日本人であることが誇らしかった。

 あれから4年、北京オリンピックのテレビ中継を見るたびに、オリンピアの風景を、ギリシャの旅を思いだす。

 夕方、町中を歩き回ってへとへとになって宿に帰ってくると、どこのホテルでもフロントの青年がその日の日本人選手の活躍を教えてくれた。金メダルを取ったときは必ず、「おい、今日は競泳で日本が勝ったよ」とがっちり握手を求めてくる。レストランのテレビはたいていオリンピック中継で、日本人選手が勝つと、ひとりぼっちで食事をしている私に「やったね」と見知らぬギリシャ人たちが笑顔で肩をたたきに来てくれた。日ごろあまり意識しない愛国心が無条件に胸を揺さぶり、国境を超えて人と人とが心をひとつにできた瞬間であった、と思う。

 そんななか、いまも忘れられない言葉がある。ある食堂の太った主人が聞いてきた。「日本人にとって、マラソンは特別なスポーツなのか? 相撲と同じように精神的なものなのか」と−。

 なるほど、マラソンにはどこか求道者的な要素がある。昭和39年の東京オリンピックで銅メダルに輝きながら自殺を遂げた円谷幸吉さんのイメージがいまだ強いのであろうか。それとも、自然の風や光のなか、ひたすら走り続ける選手の姿に限りないストイックさを感じるからであろうか。言われてみると確かにマラソンは“特別”なスポーツなのかも…。

 漠然とそんなことを考えてはみたものの、悲しいかな、そのギリシャ人にきちんと説明することができなかった。多分それは私自身、日本人とは何か、という根源的な問いにしっかりした答えを持っていないからかもしれない。

 今回の北京オリンピック。競泳で2種目2連覇を達成した北島康介選手は、表彰台でしっかり君が代を歌っていた。私よりずっと年下の多くの選手たちが同じように君が代を歌っていた姿が印象深い。彼らは自分のためだけでなく、家族や友人、支えてくれた人々、そして日本人の誇りをかけて競技に臨んだのではあるまいか。

 私を含め、日常の中で「日本人の誇り」をどれだけ持っているか、ひいては日本人のアイデンティティーとは何なのか−。ふと、考えてしまうのである。(かめおか のりこ)

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