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【街物語(33)】「原爆の火」守り続けて… (2/3ページ)
石積の棚田が四季折々の顔を見せ、夏には清流をホタルが舞い飛ぶ。その名の如く満天の星空が降り注ぐ星野村は、原爆の火には似つかわしくない自然郷だ。
達雄は原爆の火を火鉢やカマドの薪に移し、決して絶やさなかった。家族にも理由は説明しないが、その火への執着は強く感じられた。昭和41年、村の特産である茶の取材に来た新聞記者に、たまりにたまった思いをぶちまけるまで、達雄はひとりでその火を守り続けていた。
「父にとって、叔父の供養の火であり、原爆でなくなった人々を弔う火であり、恒久平和を願う火であり、怨念(おんねん)の火でした」
戦争を忌み嫌い、平和を望みながらも、「敵を取ってくれ」と苦しみながら死んでいった人たちが忘れられなかった。「いつかこの火でアメリカを焼き払ってやる」。そうわめくときもあったという。
新聞に取り上げられて有名になった達雄の火は43年、星野村が建立した「平和の塔」に移された。平成7年には新しく建立された塔に移され、「平和を祈念する象徴」として歩き始めた。
「達雄さんは『憎しみからは何もいいことが生まれない。憎しみを少しでも平和への思いに変えなくては』と話していました」。達雄の物語「The Keeper of the Flame」(海鳥社)の著者、飼牛(かいご)万里(中村学園大学教授)は生前の達雄を取材した際、「自分の平和への思いを伝えてくれ」と頼まれたという。
「被爆者が大変な思いをしているのに、なぜまた核兵器をおもちゃのように扱う人がいるのか」。達雄は飼牛を前に、怒りを隠さなかった。何十回も星野村に足を運んだ飼牛は、「平和への思いを火に託していたように感じた」という。
平和の火は現在、新潟や鹿児島など全国14団体に分火されている。昭和63年にはニューヨークで開催された国連軍縮特別総会の「平和の火リレー」にも用いられるなど、「平和の象徴」として灯され続けている。






