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【街物語(33)】「原爆の火」守り続けて… (2/3ページ)

2008.8.3 07:22
このニュースのトピックス街物語
山本達雄さんが持ち帰った原爆の火はいまでも灯され続けている(福岡県星野村)山本達雄さんが持ち帰った原爆の火はいまでも灯され続けている(福岡県星野村)

 石積の棚田が四季折々の顔を見せ、夏には清流をホタルが舞い飛ぶ。その名の如く満天の星空が降り注ぐ星野村は、原爆の火には似つかわしくない自然郷だ。

 達雄は原爆の火を火鉢やカマドの薪に移し、決して絶やさなかった。家族にも理由は説明しないが、その火への執着は強く感じられた。昭和41年、村の特産である茶の取材に来た新聞記者に、たまりにたまった思いをぶちまけるまで、達雄はひとりでその火を守り続けていた。

 「父にとって、叔父の供養の火であり、原爆でなくなった人々を弔う火であり、恒久平和を願う火であり、怨念(おんねん)の火でした」

 戦争を忌み嫌い、平和を望みながらも、「敵を取ってくれ」と苦しみながら死んでいった人たちが忘れられなかった。「いつかこの火でアメリカを焼き払ってやる」。そうわめくときもあったという。

 新聞に取り上げられて有名になった達雄の火は43年、星野村が建立した「平和の塔」に移された。平成7年には新しく建立された塔に移され、「平和を祈念する象徴」として歩き始めた。

 「達雄さんは『憎しみからは何もいいことが生まれない。憎しみを少しでも平和への思いに変えなくては』と話していました」。達雄の物語「The Keeper of the Flame」(海鳥社)の著者、飼牛(かいご)万里(中村学園大学教授)は生前の達雄を取材した際、「自分の平和への思いを伝えてくれ」と頼まれたという。

 「被爆者が大変な思いをしているのに、なぜまた核兵器をおもちゃのように扱う人がいるのか」。達雄は飼牛を前に、怒りを隠さなかった。何十回も星野村に足を運んだ飼牛は、「平和への思いを火に託していたように感じた」という。

 平和の火は現在、新潟や鹿児島など全国14団体に分火されている。昭和63年にはニューヨークで開催された国連軍縮特別総会の「平和の火リレー」にも用いられるなど、「平和の象徴」として灯され続けている。

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山本達雄さんが持ち帰った原爆の火はいまでも灯され続けている(福岡県星野村)
山本達雄さんが持ち帰った火は今でも力強く灯っている(福岡県星野村)
広島から山本達雄さんが持ち帰った原爆の火がある星野村は自然豊かな山間の村だ
山本達雄さんが持ち帰った原爆の火は平和の塔に移され、被爆者らを慰霊している(福岡県星野村)
原爆の火を広島から持ち帰った父、山本達雄さんについて書かれた記事を読む次男の拓道さん(福岡県星野村)
山本達雄さんについての著作を手にする中村学園大学の飼牛万里教授(福岡市の同大学内)
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