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模擬原爆を知っていますか? 太平洋戦争末期に米軍が投下訓練
太平洋戦争末期に行われた米軍による原爆投下訓練で、長崎で落とされた原爆と同じ重さと同じ形状の「模擬爆弾」が全国各地に投下された。昭和20年7月26日に大阪市東住吉区に落とされた大型爆弾もそのひとつだが、投下されたのが模擬爆弾だったことは長年伏せられたままだった。同区の住民グループでは一連の原爆作戦を風化させまいと、毎年この日に集いを開き、追悼の活動を続けている。
63年前、爆弾が投下される瞬間を自宅から目撃した当時、中学生の杉浦順吉さん(77)は「B29をのんびり見上げてたら、機体から黒い塊がすーっと落ちてきた。慌てて家に飛び込むと、ボガーンと轟音(ごうおん)がして、見に行くと池のような穴が開いていた」と証言する。
市の記録によると、爆弾による死者7人、負傷者73人、倒壊戸数は486戸にのぼる。落とされたのは長崎に投下された原爆「ファットマン」と同じ直径約1・5メートル、長さ3・3メートル、重さ5トンの模擬原爆「パンプキン」だった。
実際の原爆の投下作戦にあたるB29は、爆発による衝撃波を避けるために投下直後、難しい急旋回をする必要があり、その訓練のため、同年7〜8月にかけ東京や福島、愛知などに、通常火薬を詰めた50発の模擬原爆が落とされたという。
模擬原爆の存在は戦後長く知られないままで、東住吉区に投下されたのも通常の1トン爆弾と伝えられていた。だが、平成3年に愛知県春日井市の市民グループが米軍文書から原爆投下訓練だったと確認。存在が明らかになった。
同区では犠牲者の遺族が平成13年に「模擬原子爆弾投下跡地の碑」を建立。地元住民らが追悼の集いを続けており、今年も26日午前9時から、碑の前で集いが開かれる。模擬原爆被害の目撃者や広島・長崎の被爆者が当時の惨状を語るほか、投下時刻に合わせて黙祷(もくとう)し、不戦の誓いを新たにするという。
追悼式を主催する市民グループ「7・26田辺模擬原爆追悼実行委員会」の吉村直樹さん(61)は「模擬原爆による被害地域のなかには、その事実が知られていないところもある。広島・長崎の悲劇が全国につながる身近なものだったことを知ってほしい」と話している。


