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【私の正名論】評論家・呉智英 誤読、誤解に踊った「世紀末」
さすがに最近はあまり目にしなくなったが、一九九〇年代に「世紀末」という言葉を頻繁に見聞きした。
例えば、一九九二年十月二十七日付朝日新聞は、接近した小惑星が地球に衝突する恐れがあると報じ「まさに世紀末と感じた人も多い」と書いた。本紙も例外ではない。一九九六年一月十七日付の産経抄は一年前の阪神大震災を振り返り「世紀末的な惨事とは思いもかけなかった」と書いている。世紀末と惑星衝突や大地震に何の関係があるのだろうか。人類は今まで二十回の世紀末を経験しているが、そのうちの何回に惑星衝突や大地震があったというのか。むろんゼロだ。
世紀末は百年に一回必ず定期的に巡って来る。週末も七日に一回、月末も三十日に一回、年末も十二カ月に一回、必ず巡ってくるが、そのたびに小地震さえ起きるわけではない。これと同じだ。英語ではそれぞれ、週のend、月のend、年のend、そして世紀のendであって、それ以上の意味などない。それを惑星衝突や大地震と関係があると思い込んだ言説が流行したのは、なぜか。
「世紀末」と「世界終末」の字面(じづら)が似ていたからだ。もちろん英語では字面さえ似ていない。「世紀末」はend of century、「世界終末」はeschatologyだ。世紀末に惑星が衝突するだの、大地震が来るだのと英語で話したら不思議な顔をされるだけである。
何のことはない、日本中が、誤読、誤訳、誤解に踊ったのだ。
これを助長したのが中途半端な文学知識である。
フランス文学に「世紀末文化」「世紀末的傾向」などの用語がある。「世紀末」は仏語ではfin de siecle。英語と同じだ。白水社『仏和大辞典』を見ると、本来の意味のほかに語義(2)として「洗練されていて退廃的な」とあり、用例には「世紀末的人物」が挙げられている。宗教や道徳など顧(かえり)みず享楽的・退廃的に生きる遊冶郎(ゆうやろう)のことだ。この語義(2)には「19世紀末に作られた語法」と注釈がある。つまりこの語法の「世紀末」は「十九世紀末」の省略形なのである。
十九世紀後半のフランスでは旧来の社会秩序がゆらぎだし、人々は心理的に不安感を抱いた。これが「(十九)世紀末的不安」である。そんな中、反道徳的で享楽的な文化・文学も人気を集めた。ボードレールの詩集『悪の華』に代表される麻薬、酒、背徳、唯美主義の喜びを描く「(十九)世紀末文学」である。
こうした意味の「世紀末」を「デカダンス(decadence)」と言うこともある。直訳すれば、退廃、堕落だ。いずれにしろ、退廃や麻薬や背徳が惑星衝突とも大地震とも全く無関係なのは言うまでもない。
「必ずや名を正さん」。『論語』の一節だ。「名」とは言葉。言葉の乱れは思考の乱れである。思考の乱れは社会をも乱れさせる。まず言葉を正すのが第一だと孔子は言うのだ。
誤読、誤訳、誤解による言葉の乱れが思考の乱れを生み、日本中が意味もなくおびえた愚を忘れてはならない。(くれ ともふさ)