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【産経抄】6月10日
このニュースのトピックス:秋葉原通り魔事件
「おい、地獄さ行(え)ぐんだで!」。小林多喜二の『蟹工船(かにこうせん)』は、出港を待つ船の上で、2人の漁民が交わす言葉で始まる。79年前に発表されて、今再びブームを呼んでいるプロレタリア文学に遅まきながら触れた。
▼オホーツク海で蟹を捕り、これを加工して缶詰にする蟹工船には、土地を失った農民や、炭鉱員、学生、貧民窟(くつ)の少年たちが集められた。彼らは無慈悲な監督によって、過酷な残業を強いられる。
▼病気になると邪魔者扱いされ、働きが少ないと「焼き」を入れられた。真っ赤に焼いた鉄棒を体に当てることだ。まさか「焼き」を入れられることはなかろうが、「ワーキングプア」と呼ばれる若者たちが、蟹工船の労働者に寄せる共感が、ブームの背景にあるといわれる。
▼『蟹工船』の労働者たちが、団結して監督に立ち向かう姿に、「うらやましい」という声さえ上がる。低賃金や重労働に不満はあっても、それぞれが孤立している若者たちの声が、まとまって政治の大きな力になる兆しは今のところない。それどころか、不満をぶつける対象さえ、特定できていないようだ。
▼東京・秋葉原の休日を楽しんでいた7人の命を次々に奪った加藤智大容疑者(25)は、静岡県の自動車部品工場で働く派遣社員で、月給は20万円余だった。勤務態度は良好だったというが、先週工場の更衣室で大声を出して、そのまま退社していたらしい。
▼「世の中がいやになった」「誰でもよかった」。無差別殺傷事件で繰り返される、こんな供述はもう聞きたくない。どんな不満があるのか知らないが、凶器を何の関係もない人々に向けるなんて。犠牲者の無念は想像に余りある。本当の地獄は、路上を血で染めた容疑者の心の中にこそある。