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【停車場ストーリー】JR東海道線・藤枝駅 長いホームに宿場の名残り

2008.5.17 15:50
このニュースのトピックス停車場ストーリー
不釣り合いなほど長いホームに到着した電車。昼間も10分ごとに発着し、市民の足となっている不釣り合いなほど長いホームに到着した電車。昼間も10分ごとに発着し、市民の足となっている

 午後の藤枝駅。短い編成の電車が上下線ともに、およそ10分ごとに発着する。そのホームは、不釣り合いなほど長くて立派なのが面白い。

動画はこちら(産経PODCAST)

 JR東海に聞くと、ホームの全長は 295メートルを超す。さすがは日本を代表する東海道線だ。だが、14両編成が止まれるホームを発着するのは、6〜3両編成の普通列車がほとんどだという。

 サッカーで知られる静岡県藤枝市の人口は約13万2000人。静岡市内などに通う人のベッドタウンとして開発が進む。「新幹線がある今、求められるのは長大な列車ではなく、便利な交通手段」(同社広報)なのは当然の流れだ。

 4代目という駅舎は、平成18年12月に完成したばかり。美しいアーチ型の屋根がそんな街によく似合っている。カフェや、広くて明るい南北自由通路も実に今風だ。

 ところで、藤枝は江戸時代は東海道の大きな宿場町。田中城のもと、最盛期は約2キロの街道に本陣2軒、旅籠(はたご)41軒など約 670軒が軒を連ねていた。だが、明治22(1889)年の東海道線全通に伴って新設された藤枝駅は、そこから3キロほど南にできた。

 村松邦夫駅長(54)は「北口に胸像が立つ青地雄太郎氏が誘致したのです」と説明する。当時の村長だった青地氏は、鉄道敷設を知ると「文明の利器が村を発展させる」と考えて先祖からの土地を無償で提供したという。

 こうして、市街地は旧東海道の藤枝宿地区と駅周辺地区に分かれたが、大正2(1913)年には両地区を結ぶ軽便鉄道(藤相鉄道)が開業した。

 藤枝市郷土博物館の海野一徳学芸員によると「軽便は、やがて駅周辺に比重が移ることを心配した商人たちが建設を要望した。お茶やミカンを藤枝駅に運び、東海道線で各地に出荷された」という。後には静岡鉄道駿遠線として、袋井駅と結ぶ軽便の国内最長路線に発展。市民に親しまれ、藤枝駅近くの東海道線を跨線(こせん)橋で越す姿は風物詩にもなったが、トラック輸送への転換などで昭和45(1970)年には全線が廃止された。

 37年から平成10年まで藤枝駅で勤務した同市市議の池谷潔さん(65)は「当初は切符を売るのも手作業だし、貨物扱いもあって駅員は60人近くいた。暮れには首都圏方面に“ミカン列車”を仕立てた」と振り返る。「映画館がいくつもあって駅前も商店街は人で一杯だった」と話すのは、洋品店を営む秋原恭大さん(61)だ。皮肉にも、きれいに整備された現在の駅前に当時の活気はなく、商店街の人通りも少ないと嘆く。

 市は今年度、国から中心市街地活性化計画の認定を受け、駅周辺のにぎわい再生を本格化させた。秋原さんは、まちづくり会社に参加し「今を逃せばチャンスはない」と秘策を練っている。(磯山道彦、写真も)

 ■藤枝駅 1日の平均利用者数=1万1900人(平成18年度)▼運行本数=上下 194本、土曜・休日は同 188本▼開業=明治22(1889)年4月16日▼周辺の主な観光スポット・施設=志太温泉、フジの花やボート遊びが楽しめる蓮華寺池公園、軽便鉄道の展示や保存機関車もある藤枝市郷土博物館など

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不釣り合いなほど長いホームに到着した電車。昼間も10分ごとに発着し、市民の足となっている
きれいに整備された現在の駅舎を青地雄太郎氏は、どんな思いで見守るのだろうか
ホームの端に明治22年の開業時からある「油庫」。ポイント用の潤滑油が貯蔵されているのも昔と変わらない
北口にある青地雄太郎氏の胸像。駅の誘致に積極的に動き、用地を無償提供した
明るい雰囲気の改札口前と南北自由通路「パープルロード」
藤枝市郷土博物館の敷地内には、かつて藤枝宿地区と藤枝駅を結んだ軽便鉄道の蒸気機関車が展示されている
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