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【産経抄】5月12日
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福沢諭吉の精神の継承を生涯のテーマとした小泉信三は、昭和37(1962)年5月7日付小紙の「月曜論壇」で、「人間好き」だった福沢のエピソードを紹介している。それゆえに福沢は、研究に没頭できなかったが、比類まれな教育者になった、と。
▼「人間好き」は、小泉の生涯にこそあてはまる。生誕120年を記念して、東京・三田の慶応大学構内で開かれている「小泉信三展」を見て、思った。学問とスポーツ、家族、なにより日本と日本人を愛した人だった。
▼慶応塾長として、軍部によるスポーツ弾圧に反対を貫き、昭和18年の「最後の早慶戦」を実現させている。天皇陛下の皇太子時代には、教育相談役を務め、美智子さまとのご成婚の、仲人役になったことはあまりに有名だ。
▼皇太子殿下が英国を訪問されたとき、それを伝える現地の新聞記事を殿下が翻訳し、小泉が赤字で添削した原稿には目を見張った。34年に授与された文化勲章のリボンにはしみがある。米国での晩餐(ばんさん)会に列席中、アイスクリームのなかに落としてついた。そのとき「I scream!」とつぶやいた、との説明書きには笑ってしまう。
▼41年5月、78歳で亡くなって数日後、なじみの銀座の小料理屋を取材した小紙の記事も展示されている。休暇で帰ってくる海軍主計士官の息子、信吉としばしば酒を酌み交わした店だった。やがて信吉は戦死する。小泉は信吉の友人を招待して、山本五十六元帥から届いた戦死の模様を伝える手紙を読み上げた。あふれる涙をぬぐおうともしないで。
▼小欄は慶応大学に何の縁もないけれど、この人を師と仰げたらどんなによかったろう、との思いを強くした。いや、展覧会に訪れた人はみんな同じ気持ちだろう。