ニュース: 生活 RSS feed
【寒蛙六鼠】論説委員・長辻象平 幸島のサルから見えるもの
多くのサルが口々に啼(な)いた。少し尾を引く、哀調を帯びた笛の音のような声だった。
観光地や動物園で接する、けたたましい声とはほど遠い。初めて聞くやさしい声だった。
李白の詩文に「両岸の猿声(えんせい)啼いて住(や)まざるに、軽舟已(すで)に過ぐ万重(ばんちょう)の山」というくだりがあるが、詩仙が耳にしたのも、こういうサルの声だったのだろう。
サルの啼き声に接したのは4月20日過ぎのことで、場所は宮崎県の幸島(こうじま)である。周囲3・5キロの小さな島は、陸のすぐ目の前に浮かんで明るい光に満ち、のどかな波の音も響いていた。
幸島は、日本が世界に誇る「サル学」の発祥の地だ。サル学は「霊長類学」とも呼ばれる。日本の科学や技術は、独創性に乏しいと批判されがちだが、その数少ない例外がサル学なのだ。
京都大学の若手らが終戦直後の昭和23年、宮崎県の南端に近い幸島で野生のニホンザルの観察研究を手がけたのが始まりだ。今西錦司、川村俊蔵、伊谷純一郎といったそうそうたる顔ぶれである。
幸島のサルの名を一躍高めたのは「イモ洗い行動」だ。泥のついたサツマイモが水の中できれいになり、食べやすくなることに1頭の子ザルが偶然気づいた。
この行動が幸島の群れの中に広まった。サルも「文化」を持つとされ、世界の注目を集めることになったのだ。
研究者は、餌づけによって野生のサルの警戒心を解き、間近で観察することで1頭ごとに名前をつけた。個体識別による研究手法は、独創的なものだった。群れを構成するサルの関係も解明され、その社会が明らかになっていく。
日本のサル学は、欧米に新鮮な驚きを与えながら、サルとヒトの距離を埋めていった。
今年は、今西らによる最初の調査から60年にあたる。歳月とともに、学説の評価に変化も生じているようだが、今も幸島のサルたちはイモを洗う。
京大野生動物研究センター幸島観察所の研究者が島の砂浜でサツマイモを与えてみせてくれた。サルたちはイモを持って渚(なぎさ)に走り、海水でぬらしては、かじる。
現代のサツマイモは泥で汚れていないので、塩味をつけることに目的が変化しているようである。今風に言えば、サルは食文化までを持っているわけだ。魚の味に目覚めたサルもいる。
現在、幸島のサルの総数は約100頭。小さな島で生存できる上限に近い個体数だ。彼らの家系は5〜8世代にわたって記録され、人間でいえば200年分に相当するそうだ。この約40年間は毎月、全頭の体重測定も続いている。
観察所の研究者によると、幸島にも地球温暖化の影響が表れ始めているという。植生の変化も一例だ。サルたちは、樹木の葉や花や実を主食としているので影響を受けることになる。
近年、大型化の傾向が見られる台風による塩害は群れに痛手を与えやすい。樹木が枯れると餓死するサルも現れる。
海に囲まれた幸島を宇宙に浮かぶ地球に見立てると、浜辺に集まったサルの群れと都会のヒトの社会が二重写しになってくる。
サル学は、今も多くの可能性を秘めている。しかし、地道なフィールド研究は当今、冷遇されがちなのが現実だ。奥行きのある研究予算の配分は、一国の文化の問題でもあるのだが。(ながつじ・しょうへい)