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【街物語】(18)小便小僧との30年 ある女性の記録 (1/3ページ)
10冊にも及ぶアルバムを開く。黄ばんだ台紙の上のモノクロ写真は、ページをめくるたび色あせたカラー写真へと変わる。写っているのは同じポーズの小さな坊や。「いつまでも成長しない末っ子のようでかわいい」。1人の女性が残した小便小僧との歩みの歴史でもある。
昭和27年。鉄道開通80周年を前に浜松町駅の駅長、椎野栄三郎(故人)は「記念に何か気持ちが和む、駅がぱっと明るくなるものはないか」と考えていた。戦後7年。敗戦の傷がいまだ色濃く影を落としていた。悩んだ末、友人の国鉄嘱託歯科医に相談を持ちかけた。彼の長男誕生の記念に作られた陶器の小便小僧が、小林歯科の中庭で椎名を待っていた。「あれでよかったら寄贈しますよ」。坊やは駅に迎えられた。
その2年後、大田区に住む田中栄子は浜松町駅の廃線ホームにたたずむ小便小僧に出合った。6人の子供たちも手を離れ、40代半ばにして始めた仕事の疲れを癒してくれた。
ある日、ふと顔を上げると、坊やは冷たい秋雨に打たれていた。「かわいそう」。家に帰ると夫の古いコートを取り出し、小さなレインコートを作った。
「大抵銅像は高い所にあるでしょう。でもあの子はちょうど手の届く高さ。だから母はなにか子供に通じるものを感じたのかもしれませんね」と長女、賀来玲子(76)は振り返る。
30年5月、ホーム改修工事を終えた駅では、歯科医から新たに寄贈された洋銀製の小便小僧の除幕放水式が行われた。そのときの坊やはキューピッド姿。彼女が「お祝いに」と作った初めての本格的な衣装だ。後に名物となる着せ替えの始まりだった。
坊やが有名になってしばらくたったころ、駅にこんな意見が寄せられた。「銅像に服を着せるのはいかがなものか」。坊やはまた、裸になった。その時の落ち込みようはひどかった、と三女の田中弘子(66)は言う。でも「母にとっては一度打ちのめされてよかったんでしょうね」。





