MSN Japanのニュースサイトへようこそ。ここはニュース記事全文ページです。

【停車場ストーリー】天竜浜名湖鉄道・天竜二俣駅 (1/2ページ)

2008.4.5 10:08
このニュースのトピックス停車場ストーリー
築68年の瓦ぶき木造駅舎には、旧国鉄時代の名残として、国有財産の証しである「建物財産標」の刻印がある天竜二俣駅の外観築68年の瓦ぶき木造駅舎には、旧国鉄時代の名残として、国有財産の証しである「建物財産標」の刻印がある天竜二俣駅の外観

 

文化財5施設残る 鉄道の原風景が凝縮

 浜松の北方に広がる北遠地区の玄関口となる浜松市天竜区二俣地区。戦国時代に武田信玄と徳川家康が激しい攻防を繰り広げた要衝の地で、天竜川沿いにある二俣城址(じょうし)が当時の面影をわずかに残す。その街並みに埋もれるように存在する天竜浜名湖鉄道「天竜二俣駅」。構内に前身の旧国鉄二俣線「遠江二俣駅」時代から残る古めかしい施設が並び、現存が珍しい転車台や扇形車庫など5施設が国登録有形文化財に指定されている。いずれの施設も昔の姿のまま“現役選手”として働いており、その光景はまさに「鉄道の原風景」を思わせる。

 二俣線は戦争で空襲などにより東海道線が不通となった際の代替迂回(うかい)路線として、昭和15年に掛川〜新所原間約68キロが全線開通。遠江二俣駅もその中心駅として同年に誕生した。同線は戦後も、建物が焼かれ大量の木材を必要としていた東京や浜松などの都市に向け、良材とされた「天竜杉」の輸送路線として活躍。上流の山々から天竜川を伝って運び込まれた材木が輸送基地となった遠江二俣駅からピストン輸送された。当時、駅周辺には製材会社の貯木施設や宿、料理屋が並び、自動車輸送が整備された昭和40年近くまで多くの林業関係者で栄えたという。

 その後、昭和62年に国鉄民営化により第三セクターの鉄道として生まれ変わった。

 構内の車両基地は、昭和46年まで走っていた蒸気機関車時代の名残が色濃い。機関車の煙を抜くために屋根が高い扇形車庫、機関車を動かすために必要な水をためるコンクリート製貯水タンクなど年代物ばかり。列車の方向転換のための転車台(ターンテーブル)は、すべてがディーゼル車となった今もなくてはならない存在だ。

このニュースの写真

築68年の瓦ぶき木造駅舎には、旧国鉄時代の名残として、国有財産の証しである「建物財産標」の刻印がある天竜二俣駅の外観
開業当初から変わらぬ駅舎に滑り込むディーゼル列車。古い駅舎と新しい車両の対比も見応えがある
天竜杉の輸送路線として活躍したが、沿線に病院や学校が多いことから現在も住民や通学高校生の重要な足として活躍している
旧国鉄時代に二俣線を走っていた蒸気機関車「C58」、現在は駅前に展示されている
現在も社員講習などで使われている運転区講習室。昔の小学校のような雰囲気だ
駅のシンボルともいえる転車台(手前)と扇形車庫(奥)。開業当初から変わらない姿で働き続けている=浜松市天竜区二俣町阿蔵
列車の方向転換のための転車台)ターンテーブル)は、蒸気機関車からディーゼル列車となった今でもなくてはならぬ存在。新型のディーゼル列車も方向転換する
点検を受けるため、車両基地に戻ってきた車両
構内に現存する現在は使われていない腕木式信号。水平が「止まれ」、斜め下が「進め」
味わいのある運転指令室や講習室が入っている建物
PR
PR

PR

イザ!SANSPO.COMZAKZAKFuji Sankei BusinessiSANKEI EXPRESS
Copyright 2008 The Sankei Shimbun & Sankei Digital
このページ上に表示されるニュースの見出しおよび記事内容、あるいはリンク先の記事内容は MSN およびマイクロソフトの見解を反映するものではありません。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載を禁じます。