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【すごいぞ日本】ファイルI 円と球(3)失敗を恐れるな (1/2ページ)

2008.4.2 12:31
このニュースのトピックスすごいぞ日本
手前からアテネ、シドニー、アトランタ各五輪用の砲丸を前に、工場2階の自宅で語る辻谷政久さん(緑川真実撮影)手前からアテネ、シドニー、アトランタ各五輪用の砲丸を前に、工場2階の自宅で語る辻谷政久さん(緑川真実撮影)

 アトランタ五輪8日目の1996年7月26日夜(日本時間27日午前)、陸上男子砲丸投げの決勝に注目していた日本人は、皆無とはいわないまでも極めて少なかっただろう。日本ではそのほぼ同時刻、たくさんの人がテレビの前で呆然(ぼうぜん)としていた。

 辻谷政久さん(75)の砲丸が五輪で初めて金銀銅3メダル独占の快挙を果たしたのは、柔道女子48キロ級決勝で田村亮子選手が北朝鮮のケー・スンヒ選手に敗れたのと同じ日の同じ時間帯だった。歴史は誰もが気付かないうちに、そっと歯車を回すこともある。

 男子砲丸投げ決勝は、5投目まで6位だった米国のランディ・バーンズ選手が最終6投目で逆転優勝する劇的な展開だったが、辻谷さんにとっては、決勝を待つまでもなく、勝負は決していた。8人の決勝進出者全員が辻谷さんの砲丸を使っていたからだ。

 バルセロナの五輪会場から32個の砲丸が姿を消して4年、おそるべき口コミの成果だった。ただし、辻谷さん自身はまだ、「集団心理ということもある。偶然かもしれない」と半信半疑だった。最初の選手につられて、他の選手も何となく表面にスジの入った砲丸を選んでしまったということもありうる。

 「次のシドニー五輪でもメダルを独占し、初めて認められたという実感を持った。我々が作るモノは、選手に認めてもらって初めて一級品。自分だけがいいと言ってもだめですから」

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手前からアテネ、シドニー、アトランタ各五輪用の砲丸を前に、工場2階の自宅で語る辻谷政久さん(緑川真実撮影)

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