MSN Japanのニュースサイトへようこそ。ここはニュース記事全文ページです。

【明日へのセーフティーネット】あなたの隣で(4) 保護の街

2008.3.30 08:27
このニュースのトピックス「明日へのセーフティーネット」

◆高齢化の波 稼ぐあてなく

 『保護費を大切に使う事 117280』。大阪市西成区で日雇い労働者だった木村元雄さん(72)=仮名=の部屋にこんな張り出しがある。11万7280円が、ほぼ毎月受け取る生活保護の受給額だ。

 『住居費42000 光熱費 電気3500 ガス2500 水道(2カ月)5500 衛生費 銭湯3日に1回4000+? 散髪2000 洗たく(コインランドリー)2000 食費25000+?(米含む)…小計101500』『残った額は肌着、衣類、布団乾燥機貸などに残して置く事』とただし書きもある。『弁護費5000円』とあるのは、消費者金融などの借金で自己破産した際の弁護士費用を分割払いしているからだ。

 酒は飲めない。たばこも20年前にやめた。電気代を節約するため、エアコンには黒いカバーがかぶせられ、粘着テープが厳重にはり付けられていた。「生活保護天国というような報道もありますが、そんな贅沢(ぜいたく)ができるわけがない。本当にぎりぎり」という。

 金銭的には一定の収入が確保されても、生活は孤独だ。新聞代を近所の新聞店に支払いに行くときに従業員と立ち話をするのが、ほとんど唯一の人との会話だという。

          ■ ■ ■

 日本の高度成長を労働力として支えた日雇い労働者。この人たちにも高齢化の波は押し寄せている。日雇い労働者の街・大阪市西成区のあいりん(釜ケ崎)地区はホームレス、生活保護の街に変容しつつある。

 30歳で家を飛び出してからずっと、日雇い労働者として全国の工事現場を転々とした木村さんの半生はこの街の歴史とそのまま重なる。

 昭和50年ごろには、その当時でも7、8000円の日当があったが、稼いだ金は翌日には使い切った。将来のことなど考えたこともなかった。

 50歳を超えたころから、「保険も年金もなんにもない、これからどないすんねんやろ」と思うようになった。そのうちに建設の仕事はなくなり始めた。「結局、わしらは建設業界に使い捨てられた。後悔先に立たずというけれど、今さらどうしようもない」

 月1万8000円のアパートを借り、屋台でラーメンを売ったが、午後5時ごろから午前2時ごろまで働いて、1杯500円のラーメンが日に3、4杯しか売れないときもあった。年とともに、体も、足も悪くなって、平成12年から生活保護をもらうようになった。

 昨年は飲食店で皿洗いの仕事を見つけ半年働いたが、足の調子が悪く続かない。最近、店に電話をかけたが「若い子が来ている」と断られた。

          ■ ■ ■

 上向きとされる景気動向を受け、日雇い労働者の寄せ場になっている「あいりん総合センター」周辺でも仕事は増えてきている。「人が集まらない」とこれまでより2時間近く早い午前3時ごろから人集めを始める業者も出始めた。しかし、賃金でいえば、一番上の仕事と一番下の仕事がなくなっているという。かつては日雇いを始めたばかりの素人や高齢者でもできやすい「片づけ仕事」があったが姿を消し、最高額の稼ぎがある職人集団も姿を消した。必需品の携帯電話で直接業者と連絡を取るので寄せ場に来る必要がないのだ。

 「30年前なら、新しくこの街に来た人にも、『なんか仕事はあるよ』と言えたが、今は『仕事の経験がありますか』と聞く。経験がないと戦力にならない。50歳代以上ならなおさら」と、西成労働福祉センターのベテラン職員は現状を説明する。

 かつて日本の高度成長を支えた労働者は高齢化とともに仕事にあぶれるようになり、65歳以上になると、その多くは生活保護に支えられて日々を送っている。

 「生活保護はありがたいけど、人に迷惑がかからないなら、明日でも死にたい。でも、死んでも、その後始末の金を役所に出してもらわなあかんのです」と、木村さんはつぶやいた。

PR
PR

PR

イザ!SANSPO.COMZAKZAKFuji Sankei BusinessiSANKEI EXPRESS
Copyright 2008 The Sankei Shimbun & Sankei Digital
このページ上に表示されるニュースの見出しおよび記事内容、あるいはリンク先の記事内容は MSN およびマイクロソフトの見解を反映するものではありません。
掲載されている記事・写真などコンテンツの無断転載を禁じます。