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【明日へのセーフティーネット】あなたの隣で(3) 遠い自立
◆「もう一度、自分の金で」
7年前から生活保護を受けて大阪市住吉区で独り暮らしをする古田良夫さん(55)=仮名=は、となりの区にある「あべのハローワーク」までの約3キロを毎朝片道40分から1時間かけて歩くのが日課になっていた。糖尿病の合併症で脳梗塞を併発し右半身には思うように力が入らない。頭から足先までしびれや痛みが残っている。
古田さんは大手食品メーカーに勤務するサラリーマンだった。妻と5人の子供の家庭と勤続28年の生活は病魔によって変わってしまった。
岡山県で育ち、高校時代は陸上部のキャプテンだった。高校卒業後、大手食品メーカーに就職。大阪支店勤務になったのは大阪万博の年だった。岐阜、金沢の支店でも働きオンラインシステムの管理業務や、決算業務を担当し残業で徹夜することもあった。
ところが平成10年、糖尿病が悪化し、パソコンの画面が見えなくなり退職、岡山に帰った。ほぼ同時に離婚し、5人の子供とはもう7年間会っていない。
11年に仕事を探してふたたび大阪へ。思うような仕事は見つからず大阪城公園のテントで半年暮らした。当時1キロ80円前後のアルミ缶集めが唯一の現金収入。「もうどうなってもいい」と思っていた。
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「まだ若いんだから」。大阪市の巡回相談員に声をかけられたのはその公園だった。救護施設を経て、今は商店街の一角にある小さなマンションで生活保護を受け暮らしている。窓際に雨漏りを受けるためのタライやバケツが並ぶ。空調は壊れたままで暖房はない。それでも「テントで地獄を味わったから天国」という。
「区役所に行くたびに生活保護を受けている人が多いなあと思うんです。自分も税金の無駄遣いになっているような気がします。もう一度、自分の金で生活したい」
無料の就職情報誌が発行されるたびに持ち帰っては自宅で広げ仕事を探す。細かい文字を追うには虫眼鏡が欠かせない。現在の視力は右目0・1、左目0・2。運転免許は更新できなくなった。
平成18年、数カ月だが商店街の不法放置自転車の整理や、自転車マナー啓発の仕事に就くことができた。自転車を押して通ってくれるように同僚と声を張り上げた。感謝の声をかけてくれる人もいた。「久しぶりにやったという気持ちになった」という。
古田さんは同じ糖尿病で亡くなった母親と同じ年齢になった。「孤独死」という言葉が頭をよぎる。「働かず家に1人でじっとしているのも本当につらい。ハローワークに行くのが、私の仕事です」と話していた古田さん。ようやく3月22日に1年間限定だが駐輪場の料金徴収の仕事の内定が出た。
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5年以上生活保護費を受給する人は全体の5割を占める。厚生労働省は、福祉事務所とハローワークの連携などを柱とする受給者の就労自立支援プログラムを平成17年度から導入した。しかし、高齢者や障害者が大半を占める受給者の就労自立の道は険しい。
大阪市では、職安OBの区役所配置や企業に対する就労補助など6つのメニューを用意する。プログラムを活用して就労したのは18年4月から12月までの間に714人。だが、そのうち生活保護から自立できたのは95世帯にとどまっている。市では「約1億7000万円分の効果があった」と一定評価している。現場のケースワーカーからも「ケースワーカーが抱え込んでいるよりずっといい」という声も聞かれる。しかし、受給者全体の約8万4000世帯から見れば、悲しくなるほど少ない。
病気を抱えてなお就労に意欲を見せる古田さんのような例は少ない。なかには生活保護で無料になる医療費を考え、「生活保護が打ち切りにならない範囲で働いている」と打ち明ける受給者もいた。
大手電機メーカーで人事を経験し、住吉区などで就労支援員を務める古久保一男さん(67)は「『働ける人は働くことが大切だよ』と説くところから始めなければならない人が多い」と印象を語った。