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【街物語】(15)平家の隠れ里 女将さん奮戦記 (1/3ページ)
「平家はね、世間でははかないイメージが強いけど、そうじゃない。清盛は大陸文化の導入に熱心で革新的な考えの人だった。優雅で人情があった。本当の姿を全国の人に知ってほしい」
平家が源氏の追撃を逃れ、隠れ住んだ栃木県日光市の湯西川温泉。本家伴久萬久旅館の大女将(おかみ)、伴玉枝(72)は毎年、そんな思いを胸に「平家大祭」に臨んでいる。
豪壮で優美な祭りは6月5日から7日までの3日間にわたって行われ、全国からおよそ1万2000人の観光客が訪れる。
玉枝は、住民が武具を身につけ、平家凱旋(がいせん)を再現した「平家絵巻行列」では清盛の正室、時子を、建礼門院と市女笠(いちめがさ)姿のお供女性99人が練り歩く「九十九姫物語」では建礼門院徳子をそれぞれ演じる。
源平の戦で敗れた平家は一時、藤原町(現日光市)の高原(現鶏頂山)にこもった。だが、一族に男の子が生まれたときに掲げたこいのぼりが、ふもとで見張っていた源氏に反旗のノボリとされ、沢沿いを上流に逃げのび行き着いたのが湯西川温泉だった。
旧栗山村(現日光市)の元文化財保護委員の伴隆文(69)によると、「平家であることを隠すため、平の崩し字と人を表すニンベンを合わせた伴という名字にして、平家であることを子孫に伝えた」のだという。
玉枝の亡夫、道義は平重盛の子、忠実から数えて24代目だった。
「嫁に来たころはね、お客さんのだれもが行きたくなる観光名所がなかったのよ。それなら、平家が移り住んだ当時の生活を再現する場所を作るのが一番いいと思った」。昭和28年、道義が日光市に開いた事務所の職員に応募。当時、彼には妻がおり、玉枝が女将として迎えられたのは13年後だった。
「いいお湯、緑に囲まれた川、こんないっぱい自然の宝があるのに…」。東京の小石川で生まれた彼女は、湯西川の住民が平家伝承地であることをアピールしないことがもったいないと思った。















