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【停車場ストーリー】JR奥羽線・高畠駅 “メルヘン駅舎” 童話の世界 山形新幹線開業で再生 (1/2ページ)
降り積もった雪の上に顔を出すメルヘン風の建物。誰も駅舎とは思わないに違いない。この「太陽館」は山形県高畠町が平成4年の山形新幹線開業に合わせて建設し、JR奥羽線の高畠駅が“入居”している。
中に入ると、巨大な鬼の人形、改札口の手前には「ゆ」ののれんが掛かっている。改札を出て直接、のれんをくぐる人もまれではない。太陽館には温泉が備えられているのだ。メルヘン風のデザインや鬼の人形は、町出身の童話作家、浜田広介(明治26〜昭和48年)の作品をイメージした。
現在の高畠駅はもともと「糠ノ目(ぬかのめ)」駅といい、旧国鉄の駅であるとともに、民間の「高畠線」の始発駅でもあった。高畠線(当初は高畠鉄道)が開業したのは大正11(1922)年3月。最初は蒸気機関車で、糠ノ目〜高畠間 5.2キロ。糠ノ目駅から東に延び、旧高畠駅は町の中心部に設けられた。だから現在の高畠駅は“2代目”にあたる。
かつて高畠線で車掌を務めた佐藤護さん(70)によると、奥羽線が町の中心部から離れていたため、有力者たちが出資して敷設した。「当時は材木資源や、特産の高畠石、果物、製糸工場などもあり、輸送の需要が高まったようだ」という。
高畠線は大正13年に二井宿まで延長され、全線10.5キロに。昭和4年には全線電化された。同18年には戦時特例の合併で「山形交通高畠線」となった。
戦後は復興とともに活況を呈し、昭和28年の貨物輸送は木材2071トン、パルプ材1759トン、米2350トン、果物1501トン、製糸 417トン。乗客は約62万人(1日平均1700人)に上ったという。
「鉄道の黄金時代で、活力があった。製糸工場の女工さんたちも多く、高畠には映画館が3軒もあった」と佐藤さんは振り返る。高畠線の小さな客車は「マッチ箱」と親しまれた。







