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【停車場ストーリー】JR東北線・越河(こすごう)駅 明治天皇もご訪問の伝説の宝庫 (1/2ページ)
明治天皇は馬車でやって来られた。明治9(1876)年、有史以来初の東北巡幸で、宮城県で最初に訪問された越河宿(同県白石市)。ここでは当時の話が昨日のように語られる。
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「『大名行列と違ってもう土下座はいらないよ』って先触れの人がね」とは、越河駅近くに住む郷土史好きの佐藤暢(とおる)さん(76)。子供時代、風呂で聞いた曾祖母の話を身ぶりを交えて再現する。「『キタッキタッてひづめの音がした』といってたっけ」
政府は巡幸の前、奥州街道の真ん中を通っていた水路を埋めるなど、道路の整備を進めてきた。当時の“水普請”に協力した家の一部には、今でも政府の感謝状が残っているという。
越河は、当時も今も通り道。東北道、国道4号、新幹線に乗り、人は越河を通過する。「止まるのは乗り過ごした学生くらいかな」。駅前の駐在所の佐藤寛さん(55)は、試験に遅刻寸前の学生を車で送った話をしてくれた。
でもなぜ明治天皇は、小さくさびれたこの町に? 「山田信胤がいたからでは」とは暢さんの説。明治天皇が越河で休まれた信胤の親族の家。信胤は尊皇攘夷運動に影響を与えた国学者、平田篤胤の弟子で、当時の県南地方の首長でもあった。
「そもそも駅ができたのも、信胤の尽力あってこそ」と暢さんはいう。当時「火の粉が飛ぶ」などと敬遠された汽車の駅を誘致したのが信胤。昭和59年に無人駅となるまで、駅長が赴任するたび信胤の子孫を表敬していたとの話もうなずける。
「ブルドーザーもないから掘った土をカゴに入れて運んでは捨てて、周りに山ができたんだよ」。鉄道工事に参加した祖父が暢さんにしてくれた話だ。
ただ、懸念は現実に。「火の粉で越河は2度火事になった」と暢さん。線路の上に火の粉をふさぐ屋根がかかり、戦後電化されるまで残っていたらしい。










